戦争で失われたユダヤ人の音楽を今に

東京, 11月03日, /AJMEDIA/

長年、存在さえ知られることなく、世界中の誰の耳にも届かなかった音楽があります。

レコードなどの音源も残されていません。

その“幻の音楽”を掘り起こして再び光を当てようとする人たちがいます。

(※文中によみがえった“幻の音楽”の動画を掲載しています)

失われた文化を再び
「戦争が起こると真っ先に破壊されるのは文化です。それを元どおりにしたいのです」

ドイツで音楽デュオとして活動する日本人ピアニストのクリスト加藤尚子さんと、ドイツ人ソプラノ歌手のアナ・ガンさん。

戦争によって失われた音楽をよみがえらせようと活動しています。
2人はもともと、ドイツで隣町に住む音楽仲間でした。

2016年、アナさんが「演奏会のピアノ伴奏をしてもらえないか」と加藤さんに声をかけたのをきっかけに、デュオとしての活動が始まりました。
2人のコンサートのプログラムに、有名なクラシック作曲家の作品はほとんどありません。

演奏するのは、多くの人にとってなじみのないユダヤ人作曲家の楽曲ばかりです。
“忘れ去られた”ユダヤ人作曲家たち
実は第二次世界大戦中、ナチスはユダヤ人作曲家の演奏を禁じ、楽譜も焼却していました。

このため作品の多くが人々の記憶から失われました。

こうして“忘れ去られた”ユダヤ人の作曲家は加藤さんが調べただけで250人にのぼったそうです。
2人を突き動かした作曲家
中でも2人の心を捉えたユダヤ人作曲家がいます。
フリードリヒ・ゲルンスハイム(1839ー1916)。ドイツ中部のヴォルムス出身で、20世紀初頭にかけて活躍し、生前から高い評価を受けていました。

しかし、ナチスによるホロコーストの時代を境に、彼の曲が演奏されることは、ほとんどなくなりました。

ゲルンスハイムとの出会いは偶然でした。イベントでユダヤ人の音楽を紹介しようということになり、資料を探し回ったアナさん。ある歴史書に「例えば作曲家ゲレンスハイムのように…」という記述を見つけたのです。アナさんにとって初めて目にする名前でした。

音楽の事典や専門書で調べたものの、驚いたことに名前さえ出てきませんでした。そして、やっとの思いで、ゲルンスハイムの手書きの楽譜が、出身地のヴォルムスの保管所にあることを突き止めました。
アナ・ガンさん
「ブラームスならドイツ中で、いくらでも調べられます。でもゲルンスハイムについてはゼロです。とても長い間音楽に携わっていて、ドイツでも高く評価されていたのにまるで無名の人のようでした。楽譜は見つからず、買えませんでした。ネットで検索したり、自治体に問い合わせたりして一歩一歩進むしかなかったのです」
アナさんからゲルンスハイムの楽譜を見せられた時のことを加藤さんはこう振り返ります。
クリスト加藤尚子さん
「一目惚れではないですけれども、音楽のすばらしさに心を奪われてしまったのですね。どこかに隠されていた色とりどりの宝石が目の前に広がっているという強烈な印象を持ちました。この音楽を演奏していくことはもう自分の使命ではないかとすぐに思いました」
“幻の音楽”をよみがえらせる
「ゲルンスハイム・デュオ」という名前で活動を始めた2人。ほかにもゲルンスハイムの楽譜が残っていないか調べることにしました。

世界中の図書館や公文書館などに問い合わせ、ドイツ国外にあると分かれば知人のつてを頼って、その国に住む人に取り寄せを依頼しました。さらにドイツ国内で古い楽譜を専門に取り扱っている店を見て回るなど、地道に探し続けました。
アナさんが見つけたゲルンスハイム 手書きの楽譜
活動開始から3年たった2019年、2人はゲルンスハイムの作品22曲を集め、CDをリリースしました。

ゲルンスハイムの歌曲を収録したCDの発売は、世界で初めてだったと言います。
新たな挑戦
2人の活動を後押ししてくれる人も出てきました。

ベルリンにある資料館の責任者が、人知れず保管されていた別のユダヤ人作曲家の楽譜を送ってくれたのです。
その作曲家とは、ドイツ中部のマンハイム出身のロベルト・カーン(1865ー1951)。

晩年、ナチスから逃れるためにドイツ国外への亡命を余儀なくされ、それまでに築き上げた地位を失うとともに音楽活動を絶たれました。
アナ・ガンさん
「資料館の責任者は、私たちがどのような活動をしているかをどこからか知って『カーンも演奏したらどうか』と言ってきてくれたのです。こういう形でなかったら、おそらく楽譜は手には入らなかったと思います」
届いた楽譜は、カーンみずからが手書きしたものでした。歌詞を読み取るのが難しいだけでなく、音すら判別できない箇所もありました。

音源も残されていない中、カーンの表現したかった音楽を再現しようと、タイミングやテンポなど、お互いの解釈を妥協することなくぶつけ合い“失われた音”を探し続けました。
クリスト加藤尚子さん
「私たちは作曲家がどういう人生を送った人なのか、その作品が作られた時期はどういう社会情勢だったのかということをできる限り調べます。その上で作曲家がどのような気持ちでその作品を作ったのかということを想像して、表現するように心がけています」
そして2023年10月、広島で開いたコンサートでカーンの作品を披露しました。

『そして、静かに行って』。男女の恋愛をテーマにした歌曲です。

【歌曲の動画 ※クリックすると流れます】
『そして、静かに行って』
いつか一度だけ夢に迷った額に
あなたの穏やかな手を感じてみたい
あなたが私の熱を冷ましてくれたら
きっとすべての憧れは終わるでしょう
私が音もなく夢もなく深く眠るまで
子守唄を歌って
まるで今まで眠ったことがないかのように深く眠りにつくまで
それから静かに行って
(歌詞全文)
演奏後、会場ではこんな声が聞かれました。
20代女性
「誰もが平和な気持ちで何も考えずに音楽だけを聴いてほしいということかなと思いました」
50代男性
「ユダヤ人であることだけで素晴らしい曲が葬り去られていたということは損失だと思いますが、再現して下さって本当に喜びだったと思います」
クリスト加藤尚子さん
「届けられたという実感が得られて本当に嬉しく思っています。音楽というのは国とか関係なく世界中どこにでも伝えられるので、まだ私たちが見つけていない曲も探しながらたくさんの人に届けたいと思っています」
悲劇を繰り返さないために
コンサートの合間、加藤さんは、あるユダヤ人作曲家が残したという言葉を紹介していました。

ホロコーストの犠牲になったユダヤ人作曲家の1人、ヴィクトル・ウルマン(1898ー1944)が、アウシュビッツ強制収容所のガス室で殺害される2日ほど前に書き残したものだそうです。
「私の音楽活動は、芸術や美しいものとは対極にある強制収容所でのひどい生活によって阻害されたのではなく、勢いをつけられました。そして私たちの文化、芸術への意思は、生きるための意思として十分でした」
彼の言葉を紹介した加藤さんは「ユダヤ人作曲家たちをかわいそうな目で見るのではなく、どんなに非人道的な扱いを受けても決して屈しない、ポジティブな力を持っていたということを音楽から感じ取って欲しい」と語っていました。

一度はナチスによって葬り去られてしまった作曲家たちの音楽に再び光が当たることで、過酷な環境でも諦めることなく曲を作り続けた彼らの存在を世界中の人が知り、思いをはせることができるのではないかと思います。中東やウクライナを取り巻く状況が危機的な今だからこそ、2度と悲劇を繰り返してはいけないという思いを抱くきっかけにつながって欲しいと心から願います。

Follow us on social

Facebook Twitter Youtube

Related Posts