竹原ピストル「歌う内容はどうでもいい」!?その真意は

東京, 02月12 /AJMEDIA/

シンガーソングライター/俳優の竹原ピストルさん。その歌は、聴く人に力を与えてくれる熱いメッセージが魅力です。

竹原さんは、学生時代、ミュージシャンになることを夢見ながら、ボクシングに打ち込んでいたのですが、実は、当時、同じ階級のライバルとして出会った男が、NHKアナウンサーの中にいます。函館放送局の向井一弘アナウンサーです。

いまでも交流がある古い友人の竹原さんと向井アナウンサー。
「向井に敬語を使われてもしゃべりづらいし…」という竹原さんの希望で、“タメ口”でインタビューを敢行。かつて戦ったリングの上で再会した2人の飾らないやりとりから見えた、竹原さんの素顔とは。
ボクシング引退後に起こった異変
(向井)
「ボクサー・竹原和生」から「竹原ピストル」になるまでの間が、僕、唯一知らないのね。
(竹原さん)
そうだよね。ボクシングやめてからはプロミュージシャンになりたいっていう夢は、ぼや~んとあったけど。
(向井)
その時もうあったんだ?
(竹原さん)
あったあった。中学ぐらいから夢として一応あった。大学もギター持ってきたぐらいだったから。ミュージシャンになりたいと思ってたっけってぼんやり思って、だけど、具体的に活動、行動に起こすこともなく、もう部活をやめた反動で仲間と酒飲んでわいわい遊んで、遊びまくって、っていう日々をずーっと過ごしていて。

(竹原さん)
大学4年の夏ぐらいに友達と4~5人ぐらいでね、ドライブしてたのかな。俺が助手席に座ってたんだけど、唐突にね、ざあって血の気が引くような感覚を覚えて。「やべえ、俺、あれ?何これ倒れちゃうの?」っていう不安に心が占領されて、何か思考がままならなくなって、フワフワしてめまいしてみたいな。
(向井)
こう、意識が遠のいていく感じなの?
(竹原さん)
うん。実際にぶっ倒れたことはないんだけど、いかんいかん倒れるみたいな、恐怖心だよね、どっちかっつうと。初対面の人とか、あるいはちょっとそんなに親しくなくてちょっと対面してるときに緊張をしてしまうような人と一緒にいるときになりがち。逆を言うと、気心知れたすごい仲いい人といるときっていうのは全然大丈夫なの。あとタチの悪いことに、酒飲んでるとき大丈夫だったの。
(向井)
だんだん、じゃあ“そいつ”に振り回されて、ちょっとメンタルもむしばまれていく感じ?
(竹原さん)
うん。グラグラしながらバイトをしたりとか、帰ってきたら酒飲んで、飲みすぎて次の日遅刻になったりクビになったりっていうのを繰り返してグダグダしてて。で、死にたいとかって思ったことは1度たりともないけど、「これずっと続くの?」みたいな途方にくれたっつうか、その症状もひっくるめて、「いや、これずっと続くの?」みたいな、「こんなん嫌だな」みたいなズドーンって落ちてるときに、いきなりポコンって電話かけてきたのが濱埜。

転機となった電話、取り戻した自信
原因不明の不調に苦しんでいた竹原さんに突然電話をかけてきたのは、大学で趣味のバンドを一緒にやっていた濱埜宏哉(はまの・ひろちか)さんでした。竹原さんがのちにフォークバンド・野狐禅(やこぜん)を組むことになる人物です。

(向井)
濱埜くんがなんで電話をしたんだろうっていうね。
(竹原さん)
い~や、分かんない。
(向井)
分かんない?聞いてきた。
(竹原さん)
うそでしょ?濱埜に?

(向井アナが濱埜さんへの取材メモを読み上げる)
「俺は明確に一緒に音楽をやりたいという気持ちがあった。それを言いだすきっかけとして、借りていたキーボードを返したいって言って、それを理由にしてかけたんだ。大学時代に2人で遊びで作ったデモテープがあって卒業後それを地元の旭川の友達と聴いていて『絶対こいつとやったほうがいいよ』って言われてた。竹原がどこにいるかも知らずにかけた電話だった」

(竹原さん)
マジ!?えー、そうだったんだ!じゃあ、あいつは、俺と音楽をやろうと思ってかけてきたってこと?
(向井)
って、言ってた。
(竹原さん)
これやばいな、それ。すごいね!それ今知るかあ。もっと前に知ってれば、もっとあいつのことを大事にしたのに。ワハハ(笑)
でも、やっぱりね、濱埜からのあの1本の電話ってのは、あれがなかったら、濱埜からあの日連絡がなかったらって想像すると、いまだにゾッとはする。

再び連絡を取り合うようになった2人は「野狐禅」を結成。人前でのライブ経験はゼロでしたが、プロのミュージシャンになることを目指します。

(竹原さん)
やるって決めたら、1年間、必死こいてやってみようと。できること全部やろうと。「生きていくってさ」みたいなさ、「生きていくってどういうことだろうね」みたいな話をしてたことがあって、何かこう「1つの目標、志に向かって全情熱を注ぎ込んでこそ、生きていると言えるんじゃないかね」みたいなことを、真顔で言ってた時期がある。だから、そっくりそのまま野狐禅は、そういう思いを歌うユニットとして生まれ、続いてった感じかなあ。「こうじゃいかんだろ!何やってんだお前!」みたいな、てめえにどなり散らすような、そんな楽曲が多かったような気がして。
(向井)
静かに始まる曲でも、どこかで必ずどなってたよ。
(竹原さん)
ハハハ。
これね、単純なもんでさ、ライブを重ねれば重ねるほど、その症状が出なくなってくるの、また。
(向井)
なんでだろう?
(竹原さん)
だからさ、弱いなりに、成りゆき上だったけど、ボクシングをやっているボクシング部の竹原だっていう部分に、すごく自信や誇りを持ってたんじゃないかな。何をもって自分なのかっつうと、ボクシングをやってる竹原ですよって胸を張って歩いてたのかなって思うわけ。でも胸を張れるものがストーンってなくなって、しかも自分の体たらくでサボりにサボって、自分で自分の未来を見えづらくしちゃって、ズドーンってなったときに濱埜から電話があって。だから俺は野狐禅のギターボーカル担当の竹原だってちょっと思え出したのかなって思う。

歌うたいの原点は“ドサ回り”
「情熱をもって生きろ」と歌う野狐禅の音楽は関係者の目にとまり、2003年メジャーデビュー。プロのミュージシャンになる夢を果たした竹原さんですが、今度は野狐禅の個性が思わぬ悩みとなります。

(竹原さん)
東京出ました、人生の経験を積んでいくと、こう…「一概には言えねえな」って思いだすじゃん。心にゆとりが出てくるっていうか。こういう人生だっていいし、こういう生き方だってあるし、こういうのだってすてきじゃねえかと。確かに何かに向かって全情熱を注ぎ込むのもそれもすてきなことだけども、「とある一例じゃない?」みたいな。
なんか…「野狐禅はこういうことしか歌わねえ2人組だ」みたいなこだわりと、自然と考え方に幅を持っていく、人生に幅を持っていっちゃう自分たちと、みたいなので、何かよく分からなくなっちゃった、なんか、しんどくなっちゃって。

2009年に野狐禅を解散した竹原さんは、その後1人で全国の小さな酒場を巡りはじめます。活動の手本にしたのは、ライブで出会った先輩たちでした。

(竹原さん)
毎日のようにこぢんまりとしたお店のステージに上がって、ちょっぴし稼いで、また次の町へ次の町へって、年がら年中ツアーをして回ってる、旅をして回っている歌うたいの先輩方たちと出会えたのも、そういったお店たちなんだよね。その先輩方は、もう客何人だろうが、ゼロだったって、マスターとか相手に歌ったりする人もいらっしゃるしさ。歌うたいってそういうもんだっていうのは、その先輩方に教わった。1人になってからは特に、あの時よく前座やらせてもらってたあの先輩たちみたいな渡り歩き方がしたいというイメージがあったから選んだスタイルでもある。「ドサ回り」とかって勝手に自分が言ってただけのことばだけど、ず~っと、旅を回し旅を回して。
(向井)
とにかく数を重ねていくっていうことが、できればできるだけいいっていう時代なの?
(竹原さん)
そう。反省点の残らないライブなんかないから、きょうのライブ、あそここうしたらよかったじゃんっていう後悔が生じたときに、すぐに実戦で試したがるほうだから、じゃあもうあしたやる、みたいな。あしたあの部分を気をつけてやってみよう、ほらうまくいった、みたいな、そういうの。こんなとこでも歌えるんだみたいな。旅自体がすごく楽しかった時期ではある。

年間280本ものライブを続けた竹原さんは着実にファンを獲得し、ついに2度目のメジャーデビューを果たします。41歳でNHK紅白歌合戦に初出場。翌年には、日本武道館での公演も成功させました。
ボクシングをやめたあと一度見失いかけた人生を、竹原さんは歌い続けることで取り戻したのです。

竹原ピストルの“本質”
インタビュー後半は、札幌のリングからNHKホールに場所を変えて、多くの人に知られる存在となった今の竹原さんに、歌うことに対する思いを聞きました。

(向井)
38歳で再メジャーデビューして、ことしで10年。アーティストとしての成長とか、人間としての成長みたいなものって、いま振り返るとどう自分で感じてる?
(竹原さん)
えっとね、これもまた直接的な答えになってなかったらごめんね。そもそも本質としては、人前で歌うのが好きで好きでたまんないからステージに上がるんですよ。だから、歌う内容なんてどうだっていいんですよ。本来ね。何でもいいの。自分が作った曲でもいいし、カバーでもいいし、何でもいいし、その場においていちばん喜んでもらえそうなやつをやる。「だって俺は歌いたいだけなんだもん」っていうのが俺の本来の本質。
だけど、感覚的な話だけど、野狐禅時代だけは、それが逆さになっていたような気がして。っていうのは、歌いたいことが先にあった。
(向井)
あ、はい、はい、はい。
(竹原さん)
これを伝えたいんだ。だからステージに上がる。ちなみに俺もともとステージに上がって歌うのが好きだったしねっていうふうに、ちょっと順序が逆になってたような時期だったと思う、野狐禅って。
で、そこからいろいろ時を経ていろんなことを経験したり考えたりして、何年もの月日がたって今に至っているんだけど、今はすっかり本質どおりに戻ってるんだよね。
(向井)
本来思っていた自分の本質に。
(竹原さん)
そうそう。だから歌いたいからステージに上がる、みんなの前で歌いたいから上がる。何でもいいけどこの曲かなみたいな感じでやってるのが今かな。

ことし、元日から日本を襲った能登半島地震。
被害の様子を見た竹原さんは5日連続で弾き語りのライブをネット配信しました。そこには、「みんなの前で、喜んでくれそうな歌を歌いたい」という竹原さんの変わらない姿勢がありました。

(向井)
今回の能登半島地震の時とか、そこにいる人たちに伝えたいことみたいなものはどんなことを考えてやってるの?
(竹原さん)
うーんと、伝えたいことか…。
でも、例えば、義援金をみんなで集めて送ろうぜみたいな時とかっていうのは、やっぱりその被災地のみなさんに、「俺たち応援してるし、ふんばってくださいよ」って気持ちが伝わったらいいなって思ってるし。今はそんな余裕ないだろうけれども、もしうまいこと心と体を休められる時間があったときに、「あー、あいつなんかやってる」って暇つぶしで見てもらえたらいいなとか思うし。
ときどき、「竹原ピストルの歌に勇気づけられました」とか、「救われました」とか、そういうことをおっしゃってくださるお客様もいるけれども、でもやっぱ俺は、「いやいや、あなたがあなた自身を何らかのきっかけで勇気づけること、救うことができる強さを持った人間なんですよ」っていうふうに思う。だから、こんな突き放すようなニュアンスではなしに、仮に俺の歌じゃなくても大丈夫だったんだよその人はって思う。「あなたはちゃんと自分で自分を救える強さを持ってんだから自信を持ってどうぞ!」みたいに思う。
うん、だから、誰かの力になってるっていうような自覚はない。ない!
(向井)
ない!?
(竹原さん)
うん、心配はしてるけどね。「頼むぞ!頑張って!こうやって出会ったからにはなんとか生きていこうぜみんな!」みたいな、愛着は持ってるけれど、誰かのチカラになってるはずだって思ってやってることはなくって。繰り返しになっちゃうけど、とにもかくにも「あんたらの前で歌うのが超好きな人間です」みたいなのが、伝わってりゃいいなっていう感じかな、うん。

竹原ピストルがここから目指すもの
熱いメッセージを歌うにもかかわらず、「ただ人前で歌うことが好きなだけ」と言い切る竹原さん。そんな彼がここから目指すものとは?

(竹原さん)
今のうちやっとこうみたいなのあるよ、ライブ。今のうちできるだけやっておこうってある。いつかできなくなるとき、来るじゃん。縁起でもない話だけど。
(向井)
歌う竹原ピストルは、「これを保っていないと竹原ピストルじゃない」みたいなのってあるの?
(竹原さん)
ないつもりだけど。「あっ、きょういいライブだったな」って思えてるうちはやるべきだなって思ってる。それどこを採点基準にしてるかとか具体的なことは分からなくてちょっと感覚的なものなんだけど、「きょうはいいライブだったろ」って思っちゃうようなライブができてるうちはやる。思えなくなったらちょっと考えなきゃいけないよね、うん。
(向井)
今はまだ心身ともに充実している状態?
(竹原さん)
充実してる。今がピークだと思ってる、ずーっと、ずっと。ずっと「今が俺の全盛期だな」と思いながらやってるから。めでたい野郎と思ってるよ。
(向井)
いつから?
(竹原さん)
音楽始めてから。野狐禅始めてから、ずっと、ずーっと。めでたいでしょ。ワハハハ。ずーっと、ずっと、「いつか絶対チャンピオンになる」って言っていたい。結局なれないままくたばりたいな、ワハハハ。

Follow us on social

Facebook Twitter Youtube

Related Posts