古墳の濠に“太鼓”の埴輪 ほぼ完全な形で発見 奈良 田原本町

東京, 5月31日, /AJMEDIA/

奈良県田原本町の6世紀前半ごろの古墳の濠(ほり)から太鼓をかたどったとみられる埴輪がほぼ完全な形で見つかったと町の教育委員会が発表しました。現在の和太鼓をそのまま小さくしたような姿で、専門家からは、楽器の歴史を考えるうえで貴重な資料だとする声が上がっています。

奈良県田原本町の教育委員会が建設工事に伴って発掘調査を行ったところ、去年、6世紀前半ごろの古墳が確認され、4月になって濠の中から、太鼓のような珍しい形をした埴輪が出土しました。

長さおよそ30センチ、胴のいちばん太い部分の直径が25センチほどで、両端に皮を張って鋲(びょう)で留めた様子が再現され、今の和太鼓をそのまま小さくしたような姿をしています。

教育委員会によりますと、太鼓をかたどったとみられる埴輪は、継体天皇の墓という説のある大阪 高槻市の今城塚古墳などで見つかっていますが、今回のように、割れていないものは初めてだということです。

古墳時代の歴史に詳しい同志社大学の元教授の辰巳和弘さんは、「太鼓だということが一目瞭然で多少、興奮している。楽器の歴史の中に、確実にこういうものがあったということを示す貴重な資料だ」と話しています。

日本書紀にも“太鼓”に関連するとみられる記述複数
古代の歴史書=「日本書紀」には、太鼓に関連するとみられる記述が複数、存在し、漢字では「鼓」の文字が使われています。
この「鼓」という文字を太鼓のことだとした場合、まずは軍事との関わりが注目されます。

6世紀前半ごろの継体天皇についての記述では、九州の豪族による「磐井の乱」が起きたとき、戦いの場で両軍の旗と太鼓が相対したと記されています。

また、それに先立つ神功皇后についての記述では、かねや太鼓の音、軍の旗が乱れては統率が取れないと兵士たちに注意を与えた場面が描かれています。

埴輪に詳しい大正大学の塚田良道 教授は、「今回の太鼓の埴輪は、盾や刀など武器を表したものと一緒に出土している。軍隊を指揮する『軍楽器』を表現した可能性がある」と指摘しています。

一方、葬送の際に行われる儀礼に詳しい同志社大学の元教授の辰巳和弘さんは、人を葬る古墳に太鼓の埴輪が置かれたことに注目しています。
辰巳さんは、「葬送の場面で楽器を鳴らし、その音で死者の霊魂を来世に向けて送り出して再生させる。こちらの世界とあちらの世界を音がつないでくれるという意味で、太鼓の響きが重要な意味を持っていたのかもしれない」と話しています。

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