奈良 キトラ古墳 石室の壁にヘビなど“十二支像”壁画を確認

東京, 3月24日, /AJMEDIA/

奈良県明日香村のキトラ古墳について、泥に覆われている石室の壁をエックス線を使って分析したところ、十二支の「巳」とみられるヘビをかたどった像など3つの壁画が描かれていたことが新たに確認されました。ヘビの像は衣装をまとった姿や2つに割れた舌先など、ほぼ全身が確認できます。

これは、23日、東京都内で開かれた文化庁の検討会で明らかにされました。

奈良県明日香村にあるキトラ古墳は、7世紀末から8世紀初めころの飛鳥時代の円墳で、石室の内部に描かれている方角の守り神、「朱雀」や「玄武」を始めとした壁画は国宝に指定されています。

このうち「十二支」を人をかたどった姿で描いた壁画は、これまで6体が確認されていましたが、今回、文化庁が泥に覆われている部分を蛍光エックス線を使って分析したところ、「十二支」の「辰」と「巳」、それに「申」にあたる場所に顔料の成分とみられる水銀や銅の反応が検出されたということです。

データをもとに可視化すると、このうち「巳」とみられる像では、衣装をまとった姿や顔の部分から伸びた舌が2つに割れている様子などほぼ全身が確認できました。

検討会では、委員から「驚きの結果だ」などとして、今後、泥に覆われたほかの部分の調査も進めるべきだとする意見などが出されました。

検討会の和田晴吾座長は「非常に精細な分析によって、泥で見えないものがわかるようになったのは大きな前進だ。一番見たいのは描かれた当時の姿なので全体像にできるだけ近づけるよう、分析を進めてほしい」と話していました。

今回の成果について、古代の壁画に詳しい東京大学の増記隆介准教授は「泥の下にあるものがよくここまで形として把握できたと思う。キトラ古墳の壁画がどういったものかを考える重要な成果だ」と話しています。

キトラ古墳と十二支像
奈良県明日香村にあるキトラ古墳は、7世紀末から8世紀初めころの飛鳥時代に造られたとされる円形の古墳です。

40年前の調査で、石室の内部に極彩色の壁画が描かれているのが分かり、同じ明日香村にある高松塚古墳に続く、国内で2例目の大発見として注目を集めました。

その後、2回にわたって調査が行われ、東アジアで最古とされる天文図や、朱雀や玄武などの方角の守り神、それに頭が動物で体が人の姿をした「十二支」の像などが見つかりました。

このうち十二支の像は、東の壁に描かれた「寅」のほか、南の壁の午と西の壁の戌、それに北の壁の亥、子、丑の合わせて6体の像が肉眼で確認されています。

残り6体のうち、東の「卯」、南の「未」、西の「酉」の3体については、それぞれ描かれていたと考えられる場所のしっくいがはがれ落ちていて、すでに失われているとみられています。

一方、東の「辰」、南の「巳」、西の「申」が描かれていたとみられる場所は、しっくいが泥に覆われた状態だったため、文化庁などはこの部分をはがしとって保存し、壁画が残っていないか科学的な方法で調査を続けていました。

泥の下の壁画どう発見?
今回調査が行われたしっくいは、厚さが数ミリと非常に薄く、壁画があるかどうか調べるために泥を取り除くことは困難だと考えられました。

このため調査には「蛍光エックス線分析」と呼ばれる技術が使われました。

特定の元素を検出するエックス線を照射してその反応を測定するもので、しっくいに触れることなく壁画の顔料に使われた鉱物が含まれているかどうかや、その種類などを調べることができます。

文化庁は3年前から、この技術を使って泥に覆われたしっくいの調査を行っていて、十二支の「辰」「巳」「申」の像が描かれているとみられる場所から、それぞれ顔料の成分とみられる水銀などの反応を検出しました。

さらに、全体像を明らかにするため、反応があった部分を中心におよそ0.3ミリの間隔で蛍光エックス線を照射し、データを基に可視化したところ、十二支とみられる像の輪郭などが浮かびあがったということです。
分析にあたった東京文化財研究所の犬塚将英室長は「鮮明に映し出されたので、調査にあたったメンバー全員が驚いた。表面から見ることのできない部分を確認できたというのは大きな成果で、今後適用できる手段が1つ増えたのは非常に大きな意義がある」と話しています。

十二支とみられる壁画の存在が分かったしっくいですが、文化庁は、現段階ではこれ以上の調査は難しいとしていて、今後、公開の方法などについて検討することにしています。
専門家“方角ごとに色を塗り分けていた可能性高まる”
今回の調査で確認された十二支とみられる3つの壁画からは、それぞれ異なる種類の顔料の反応が出ていて、古代の絵画の歴史に詳しい専門家は、石室の方角ごとに壁画の色を塗り分けていた可能性がより高まったと指摘しています。

キトラ古墳の石室でこれまでに確認された十二支などの壁画は、古代中国の思想を背景に、東の方角は「青」、西は「白」、南は「赤」、北は「黒」と、それそれ異なる色で塗り分けられていた可能性が高いと考えられています。

今回の調査でも、南の壁の「巳」にあたる場所からは、主に赤色の顔料の成分である水銀の反応が出ています。

また、東の壁の「辰」にあたる場所からは、主に青緑色の顔料に含まれる銅の反応が出ていました。

こうした分析結果から、専門家はキトラ古墳では石室の四方の壁ごとに壁画の色を塗り分けていた可能性がより高まったとしています。

古代の絵画の歴史に詳しい東京大学大学院の増記隆介准教授は「この時代の世界観を画像としてあらわすという、基本的なルールを反映したものだと思う。死後の世界は秩序だった平穏な環境であるようにという思いがあって、墓の中にある種の理想的な世界をつくったのではないか」と話しています。
専門家からはほかの壁画の調査も進むのではと期待の声
今回の調査結果を受け、専門家からは石室からはがされて保存されているキトラ古墳のほかの壁画の調査も進むのではないかと期待する声があがっています。

キトラ古墳の石室には、十二支や方角の守り神などが描かれていますが、今回、調査の対象となった以外にも泥で覆われたまま保存されているしっくいがあります。

このうち、東の壁に描かれている方角の守り神の「青龍」は、大きく開いた口や赤い舌、突き出した前足の一部などが肉眼で確認できますが、大半は泥に覆われていて体の輪郭などははっきりとは分かっていません。

現在、公表されている復元図は同じように「青龍」が描かれている高松塚古墳の壁画を参考にしているということです。

今回の調査結果を受けて、専門家などでつくる文化庁の検討会の委員からは、今回の「蛍光X線分析」を使えば青龍の壁画の全体像の解明につながるのではないかと期待する声があがっています。

検討会の和田晴吾座長は「泥で見えないものをどうやって見えるようにするかというのが課題だった。いちばん見たいのは描かれた当時の姿なので全体像にできるだけ近づけるよう、分析を進めてほしい」と話しています。

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