博士の愛した禅寺

東京, 1月12日, /AJMEDIA/

僕は、ノーベル賞には興味がないんだ」
「花や鳥、石の気持ちまで分かるような科学者になりたい」

絶滅したネアンデルタール人の遺伝情報を解読し、人類の進化に関わる発見で、2022年のノーベル生理学・医学賞を受賞したスバンテ・ペーボ博士。

“人類の起源”に挑む研究の傍ら、20年以上に渡って通い続ける禅寺が、広島県の山あいにある。

その寺に、いったい何があるのだろうか。

(広島局アナウンサー 出山知樹/ネットワーク報道部記者 杉本宙矢)

“ダンジョー”の寺
広島市の中心部から車で約1時間半。

広島県北部、三次市の山あいの地域に、その寺はある。
室町時代の文明元年(1469年)に創建された、西光禅寺。大きな寺というより、風情のいい古民家という印象だ。

私たちが訪ねると、鮮やかな青の法衣に身を包んだ男性が出迎えてくれた。

住職の檀上宗謙(だんじょう・そうけん)さんだ。
前の住職が亡くなったあと、一時は荒れていた寺の建て直しを頼まれ、20年ほど前から、住職を務めている。

檀上さんが何よりも力を入れたのは、禅の思想をあらわす庭づくりだ。

「華厳の庭」と名付けられたその庭は、置かれた石で北斗七星などの星々を表現。自然に生えてきた木々は、そのまま生かされている。
庭は歩くことができ、自然との一体感を感じさせる
檀上住職
「植物も、虫も、ありとあらゆる生命がここに宿っているという宇宙観を表現しているんです。広大な宇宙を、この庭から感じ取ってほしいという“問いかけ”なんですね」
スウェーデン出身でドイツの研究機関に所属するペーボ博士は、なぜ、遠く離れたこの禅寺に通うようになったのか。

私たちは檀上さんを通じて博士自身にも取材を依頼したが、「今は多忙で難しい」とのことで実現しなかった。今回は檀上さんのことばから、博士の心の内を読み解いてみたい。
ヒューマン・エボリューション
2人は、いまから25年ほど前に出会った。

当時、広島県内の別の寺で、外国人向けの禅道場に携わっていた檀上さん。

ある日、その寺につながる坂道を、ゴロゴロとキャリーケースを引いて歩いてくる外国人男性がいた。

背が高く、ヒッピーのような短パン姿。

若き日のペーボ博士だった。

「座禅に来たの?」

そう声をかけると、博士は「そうだ」と、にこやかに答えた。

普段は学者をしているというので何を研究しているのか尋ねると、博士はこう答えた。

「ヒューマン・エボリューション(人類の進化)だ」

詳しく話を聴いてみると、その内容は、住職である檀上さんにとって、非常に興味深いものだった。
檀上住職
「ペーボさんの研究は、遺伝子から人類の歴史を解明しようというものでした。仏教は、人間は縁を受けて生き、命はつながっていると教えていると、私は理解しています。それを遺伝子からひもとこうというのは、面白い研究だなと思いました」
出会った頃のペーボ博士(左)と檀上さん(右)
年齢が1つしか違わず、博士が一時、在籍していたアメリカの大学に檀上さんが留学していたという縁もあって、2人は意気投合した。

ペーボ博士は「ダンジョー」と呼び、いまでは、日本を訪れるときの滞在先は、「ホテルよりダンジョーの寺がいい」と、決まって西光禅寺を選ぶという。
“石の気持ちもわかる科学者に”
博士はなぜ、禅を必要としたのだろうか。

直接、話を聞けない中、その心中を推し量るのは簡単ではないが、博士が挑んだ研究の困難さを思うと、想像できる。
古代人の骨に残るDNAから、人類の歴史を解き明かせないかと考えた博士は、絶滅したネアンデルタール人の遺伝情報の“完全解読”に挑戦。4万年前の骨に残されていたDNAを抽出することに、初めて成功した。

そして、現代人である「ホモ・サピエンス」はネアンデルタール人の遺伝情報の一部を受け継いでいることを突き止め、種が交わっていた可能性を明らかにした。

2010年のことだ。

人類の進化の核心に迫る、華々しい研究成果。

しかし、その裏には、途方もない忍耐と、果てしなく地道な作業の繰り返しがあったことを、博士は著書の中で明かしている。

研究を始めた1980年代はDNA抽出の技術水準がいまほど高くなく、骨から抽出して配列を復元するのは困難だとされていた。

特に問題になったのが、現代人のDNAの混入だ。

発掘や研究の過程で現代人の汗や皮膚片などが、ほんのわずかでも紛れ込んでしまうことで、誤った実験結果を導いてしまうのだ。
ネアンデルタール人の骨を扱う実験室の様子
“世界初”のDNA解析作業専用のクリーンルームを作るなど対策を徹底しても、思うような結果が出ない日々。
「わたしたちは、いやというほど挫折や失敗を重ねてきた」

「大学で抱いた、古代の核DNAの長い断片を見つけるという夢は、結局、夢に終わるのではないかと思えてきた」

(『ネアンデルタール人は私たちと交配した』より)
博士が、日本の禅寺を訪れるようになったのは、そんな苦悩の日々が続く時期だった。

檀上さんによれば、博士の寺での生活リズムは「日本人以上に日本人らしい」そうだ。

毎朝、決まった時間に起きて、午前6時か7時には座禅を始める。

正座は不慣れな博士に、檀上さんは、椅子を使った座禅を勧めた。
座禅を組むペーボ博士(檀上さん撮影)
また、博士は、本や資料を読むでもなく、ただ、じっと、「華厳の庭」を見つめていることも多い。

檀上さんには、日々の雑念を取り払い、自分の心に向き合っているように映ったという。

檀上さんは、博士に「あなたは仏教徒になりたいのか?」と尋ねたことがある。

博士は答えた。

「僕は、仏教徒になることは考えていない。サイエンティストだから」

そして、こう付け加えた。
「人間は、人間中心主義になれば、傲慢になる。時に、戦争まで起こしてしまう。自分が傲慢になれば、研究成果も離れていく。本来、人間も自然の一つ。花や鳥、石の気持ちまで分かるような科学者に、私はなりたい」
著書の中で、博士は、研究費の捻出や学会での人付き合い、貴重な骨を入手するための交渉などに、神経をすり減らしていたことを明かしている。

時にすべてを投げ出したくなるような日々。

その中で、傲慢さを捨て、真摯に向き合う。

博士にとって禅は、その助けになっていたのかもしれない。
博士も座禅を組みながら見ていた景色
自分の石を探すということ
檀上さんは、禅は、世間という「枠組み」から離れ、自分の「内」を見ることの大切さを教えてくれるものだという。

寺を訪れた人には「庭の中からひとつ、自分の好きな石を見つけてきてください」と、声をかける。
檀上住職
「こう言うと、誰もが、自分の好きな石を見つけてくるんですね。たったひとつだけ。自分にはこれが気に入ったというものがあるんですね。それが“禅”なんだと思います。自分にとって一番大好きな、これが私なんだ、というもの。それに向き合ったとき、本来の自分がおのずと出てくるはずなんです」
ペーボ博士を励まそうと、檀上さんはしばしば、こう言葉をかけた。

「あなたは将来、ノーベル賞を取るよ」

だが、博士からの返事は決まっていた。

「僕は、ノーベル賞には興味がないんだ」

13歳の時にエジプトを訪れたことをきっかけに、古代の歴史に夢中になり、それが高じて研究者となった博士。

西光禅寺で過ごす日々は、「枠組み」から離れ、「自分の石を探す」ことに向き合い続けられる、とても貴重で、幸せな時間だったに違いない。

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