東京, 2月24日, /AJMEDIA/
戦前は国宝に指定され、戦後GHQによる接収で所在不明となっていた鹿児島県霧島市の鹿児島神宮の刀と特徴が一致する刀がオーストラリアで見つかりました。所有者はNHKの取材に対し、将来は返還する意向を示しています。
鹿児島県霧島市の鹿児島神宮に奉納され戦前は国宝に指定されていた「刀 無銘則重」は戦後GHQに接収され、その後、所在不明となっていました。
オーストラリアの愛刀家、イアン・ブルックスさんはこの刀と4年前にインターネットのオークションで購入した刀の特徴が一致していることに気付き調査を始めました。
その結果、刃の長さや鐔に彫られた銘が一致したほか、さやに巻きつけられていたとみられるラベルに判読不明な2文字に続いて「・・島神宮」という文字があることがわかりました。
さらに鹿児島神宮と連絡をとったところこのラベルに記載された「三二」と「八一」という数字が神宮側に残されている記録と一致したということです。
ブルックスさんはNHKの取材に対し「自身の死後には確実にこの刀を鹿児島神宮に戻したい」と話しています。
文化庁はこの刀の存在を把握していて、今後の対応を検討しているということです。
「則重」は鎌倉時代の刀工で、鹿児島神宮には200年余り前に当時の薩摩藩主島津斉興が奉納しました。
鹿児島神宮の井上容一さんは「戻ってくることはないと思っていたので驚きました。長く受け継いでいけたらとても喜ばしい」と話しています。
「遺言状で刀が鹿児島神宮に戻ることが確実になるように…」
オーストラリアのメルボルンに住む弁護士のイアン・ブルックスさんが23日、NHKの取材に応じました。
ブルックスさんはオーストラリアで放送されていた日本のテレビ番組で侍が使う日本刀に興味を持ちこれまでにおよそ50本の刀を集めてきた愛刀家で、刀について地元誌に記事を掲載するなどしてきました。
今回の刀は4年前にインターネットのオークションサイトで見つけ、これまでに見てきた刀の中で最も優れた刀だと確信し、5300ドル余り、日本円にして60万ほどで落札したということです。
出品者の情報によると、もとの所有者はアメリカのニューヨークに住む男性で、ブルックスさんは「元の所有者の年齢を考慮するとかつて軍属で日本からアメリカに持ち帰った可能性もある」として、現在詳しい情報を得ようと私立探偵を雇って調べているということです。
今回の発見についてブルックスさんは「とても幸運なことだと思う。刀の質もとてもよく、手元に届いた時はとてもうれしかった」と話していました。
また終戦直後のGHQによる刀の接収については「アメリカも重要な刀は日本に置くようにしたと思うがコミュニケーションが足りなかったと思う。質のよい刀が国外に出てしまったことは残念なことだが、失われた刀も徐々に返還されている」という考えを示しました。
そのうえで将来的な返還については「私は現在66歳で生きている間は刀を持っていたいが、遺言状には私の死後に刀が鹿児島神宮に戻ることが確実になるように書いてある」としたうえで「鹿児島神宮もいつか訪れたい」と話していました。
重要文化財 所在不明は142件
戦後、文化財保護法の施行によってそれまで国宝とされていたものはすべて重要文化財となり、さらにその中で価値が高いものが国宝に指定されています。
文化庁によりますと、去年3月の時点で所在不明となっている重要文化財は142件あり、この中で刀剣は半数以上の72件を占めています。
戦後GHQによる日本の武装解除の一環として各地で行われた刀の接収に伴って所在不明となったケースもあり、鹿児島県内では旧国宝の刀5件のうち4件の行方が一時分からなくなりました。
現在、鹿児島市の照国神社に奉納され、国宝にも指定されている「太刀 銘 国宗」など2件は県内に戻されています。
文化庁は「無銘則重」と特徴が一致する刀がオーストラリアで見つかったことを把握していて今後の対応を検討しているということです。