最高裁審理に「元長官が介入」 団藤元判事、大阪空港訴訟で記録―龍谷大

東京, 4月20日, /AJMEDIA/

最高裁判事を務めた故団藤重光氏(2012年に98歳で死去)が、夜間飛行の差し止めなどを求めた大阪空港訴訟の最高裁での審理過程を記録したノートが見つかったと、同氏から資料の寄贈を受けた龍谷大(京都市)が19日発表した。同訴訟で大法廷回付を求める電話が元最高裁長官からあったことに対し、「介入」と記していた。
 ノートの記録によると、団藤氏が判事を務める最高裁第1小法廷で1977年11月に上告審の審理が開始。午後9時~午前7時の飛行差し止めなどを認めた二審の大阪高裁判決を容認することで78年3月に小法廷内で合意し、同5月に口頭弁論が行われて即日結審した。
 しかし、国側は同7月18日、大法廷回付を求める上申書を提出。翌19日には最高裁第1小法廷の岸上康夫裁判長らが長官室で協議していた際、村上朝一元長官が電話で、岸上裁判長に大法廷回付を要望したという。
 団藤氏はノートで「法務省側の意を受けた村上氏が大法廷回付の要望をされた由。この種の介入は怪しからぬことだ」と批判。「弁論のあとで、いまになっての上申は好ましくない。引きのばし作戦でもあろうし、むしろ実質的には忌避の感じさえする」と懸念を示している。
 第1小法廷からの回付を受け、81年の大法廷判決では、一部損害賠償を認める一方、焦点だった夜間飛行差し止めについては却下となった。

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