「命のビザ」支えたオランダ領事 杉原千畝氏とユダヤ人救う

東京, 04月28日 /AJMEDIA/

第2次世界大戦中のリトアニアで、外交官の杉原千畝氏がナチス・ドイツなどの迫害から逃れるユダヤ人難民らに発給した「命のビザ」。当時、杉原氏と共に数千人を救ったオランダ名誉領事の存在が近年知られるようになった。リトアニアの歴史家は、2人がビザを出したことで、人々が欧州を脱出できたと指摘する。

 この人物は、ヤン・ズワルテンダイク氏(1896~1976)。命のビザの舞台となった40年夏、オランダ総合電機大手フィリップスのリトアニア支社長とオランダ名誉領事を兼任していた。

 39年、ドイツ軍のポーランド侵攻で第2次大戦が勃発。中立国だったリトアニアには、行き場を失ったユダヤ人が押し寄せたという。

 40年7月、ズワルテンダイク氏は、ソ連のリトアニア併合が迫り、身の安全に不安を抱いたユダヤ人の求めに応じ、カリブ海にあるオランダ領キュラソーへの入国を名目上認める「キュラソービザ」を出した。オランダ政府によれば、発給数は2週間で少なくとも2345枚に上った。

 これに併せて、杉原氏はソ連を横断後、第三国に向かう途中で日本を経由することを許可する「通過ビザ」を出した。2人のビザを手にした人々はその後、米国やオーストラリア、イスラエルなど世界各地に渡ったことが確認されている。

 ズワルテンダイク氏の次男ロブさん(84)によると、一家は関連書類を焼却処分した上で、40年9月、ナチス占領下のオランダに帰国。父親は「リトアニアで起きたことは決して話すな」と家族に口止めした。「ナチスに知られたら銃殺されると思ったのだろう」とロブさんは推察する。

 40年当時、乳児だったロブさんが詳細を知るのは父親の死後。戦後も「やるべきことをやっただけ」と多くを語らなかったといい、「誇り高く、とても謙虚な人だった」と振り返った。ズワルテンダイク氏の行動には、数年前からオランダ国内でも光が当たるようになり、同国政府は昨年9月、名誉勲章を授与した。

 リトアニアの歴史家リナス・ベンクラウスカス氏は、厳しい状況下でも「自分の考えや価値観に従って行動すれば、変化を起こすことはできる」と2人の功績を評価した。

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