つなぐ製法「伊達のあんぽ柿」 原発事故乗り越え100周年―出荷ピーク・福島県

東京, 1月1日, /AJMEDIA/

 干し柿の一種で、福島県伊達地方の特産品「あんぽ柿」の出荷が最盛期を迎えている。干した際の鮮やかなオレンジ色のカーテンは福島の冬の風物詩だ。2022年に製法確立100周年を迎え、国内有数のシェアを誇る「伊達のあんぽ柿」は、11年3月の東京電力福島第1原発事故の影響で出荷停止を余儀なくされ、産地消滅の危機にも陥った。しかし、地元生産者らは懸命に製法をつないできた。
 渋柿を乾燥させるあんぽ柿は原発事故後、放射性物質が濃縮される可能性があるなどとして加工自粛要請が出された。伊達地方を所管するふくしま未来農業協同組合の数又清市組合長(67)は「事故から2年間、完全に出荷が停止した。産地が駄目になるかもしれないと思った」と振り返る。
 「産地復活には、組織の垣根を越えた地域の力が必要だった」と数又氏。農協に属さず個人で生産する業者も含め、冬空の下、柿の木を高圧洗浄機で除染したり、短く切り揃えたりと放射線量を下げるために地域全体で手を尽くした。農協でも、原料柿の放射性物質検査や包装トレーごと計測できる検査機器の整備など「安全安心のため、できることはすべてやった」という。
 努力が功を奏し、13年度以降、モデル地区に設定された地域で加工が再開。全量検査で合格したものだけが出荷され、出荷量は15年度には事故前の半分に相当する約600トンに達するなど回復しつつある。ただ、事故を機に離農した人は多く、生産者の高齢化も進むなど、後継者育成が急務となっている。
 父と共に築いた製法を守り抜こうとする人もいる。伊達市五十沢地区の佐藤潤哉さん(49)。両親は柿などを栽培する農家だったが、佐藤さんが25歳で就農した際に一緒にあんぽ柿加工を始め、父が亡くなって以降も続けてきた。
 仕上がりを均一にするため、柿の選別作業は丁寧に重さや形をそろえる。父が大切にしていた「最初の下地」だ。皮をむいて硫黄でいぶした柿は、干し場に約1カ月干す。日々の天気に合わせて窓を開閉し、扇風機で干し場の温度を一定に保っている。「嗜好(しこう)品である以上、品質にはこだわりたい」と意気込む。
 「検査の必要なく、自由に出荷できるようになったら、きり箱に入れて高級品として胸を張って売り出したい」と夢を語る佐藤さん。「今季のあんぽ柿は食感や味も良く、100周年にふさわしい出来。ぜひ食べてもらい、ファンになってほしい」と笑った。

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