「石巻市の役に立ちたい」 被災遺構に衝撃、ボランティア活動―ウクライナから避難の女性・宮城

東京, 3月11日, /AJMEDIA/

東日本大震災から11日で12年。ロシアの侵攻で、ウクライナから宮城県石巻市に避難してきたイリナ・ホンチャロヴァさん(63)は、「自分も何かの役に立ちたい」と、昨年9月から市の震災遺構でボランティア活動を続けている。
北部チェルニヒウ州出身。住んでいた町は空襲に遭い、侵攻から約1カ月はマンションの地下室での避難を余儀なくされた。電気も暖房も水もない生活が続き、身の安全を求めて昨年4月、長男夫婦が暮らす石巻市に避難した。
 母リディアさん(87)と市の災害公営住宅に身を寄せ、周囲の支えで日本の生活にも少しずつ慣れてきた。避難先で支援を受けるだけでなく、「ここで何かできることがあれば」と考え、市の提案もあり震災遺構となっている門脇小学校でボランティア活動を始めた。
 門脇小は校舎を津波が襲い、流されてきた車両のガソリンが引火し炎に包まれた。校舎の大部分は今も当時のまま保存され、火災で骨組みだけになった机や椅子が残されている。ホンチャロヴァさんは初めて訪れた際、戦争で建物が破壊された故郷の風景と重なり、衝撃を受けた。「とても心が痛かった」と振り返る。
 門脇小では毎月2回、簡単な日本語で来館者に案内をしている。ボランティアの傍ら、自身の戦争体験を伝える講話も行う。今年2月下旬の講話では、来館した4人に避難に至った経緯などを紹介し、携帯型の翻訳機で質疑に応じた。「多くの人と交流でき、ウクライナに関心を持ってもらう機会にもなっている」と語る。
 講話を聴いた同市のアルバイト太田聡子さん(52)は昨年夏、勤務先の青果店でホンチャロヴァさんと知り合った。「つらい思いをしながらも、異国の地で頑張る姿を見て感銘を受けた」と話した。
 「石巻の人たちは大切な家族や友人を失う悲しみを知っていて、私のことも理解してくれる」とホンチャロヴァさん。侵攻から1年がたった故郷は戦闘が終わる兆しも見えず、不安は尽きない。「希望の春が来てほしい」と訴える。11日は、市内で犠牲者を追悼する予定だ。

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