「再審無罪、それが私の仕事」 高裁決定前、姉ひで子さん心境―失意の母の死、親孝行決心・袴田事件

東京, 3月11日, /AJMEDIA/

「ずっと無実を信じてきた。再審を見届けることが私の仕事、運命だと思っている」。死刑が確定した袴田巌さん(87)が静岡地裁の再審開始決定で約48年ぶりに釈放されてから間もなく9年がたつ。再審請求人となった姉ひで子さん(90)が、13日の東京高裁決定を前に心境を語った。
6人きょうだいで、向こうっ気の強いひで子さんは三女、おとなしい性格の巌さんは末っ子。事件は1966年6月、ひで子さんが33歳の時に起きた。心配し電話すると、巌さんは「まだよく分からんよ」と返した。その週末も実家に顔を出し、普段と変わらない巌さんの様子に安心したが、程なく警察の尾行が付くようになり、新聞紙面に「従業員『H』」の見出しが躍った。同8月に巌さんが逮捕されると、ひで子さんもアパートを家宅捜索され警察の取り調べを受けた。
 その後は「世間と距離を置いた」という。「巌を犯人だという人がいたら『あんた見たのかね』って言ってやるつもりだった」と語る。
 父は脳梗塞で倒れたため裁判の傍聴がかなわず、母ともさんが証人出廷するなどした。ともさんは、巌さんが静岡地裁で死刑を言い渡された約2カ月後の68年11月に68歳で他界し、父も半年後に69歳で息を引き取った。
 ひで子さんは「あれだけの事件。器量良しの母が裁判に通って苦労した」と振り返った。ある時、ともさんが喜び勇んで電話してきたことがあった。「『帰る途中、どこの誰とも知らんけど、この裁判はおかしいねと声を掛けてくれた』って、大変喜んでいた」
 ひで子さんが巌さんの面会に足しげく通い、差し入れするようになったのも、再審請求したのも全てが「母の悲しみをなんとかしてやりたいと思って始めた親孝行」という。60歳を目前に、銀行から借り入れてマンションも建てた。「当時は巌が出てくる当てもなかったけど、帰ってきたら住む家がないと困ると思って」とひで子さん。「権力に立ち向かうってのも、なかなか大変なもんだよ。巌の苦労は並みじゃない。三畳の狭い部屋で48年間も我慢して、よくぞ出てきたですよ」と語った。

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