避難指示解除も戻る人少なく 大熊町36人、葛尾村は1人―インフラに課題・福島の復興拠点

東京, 2月25日, /AJMEDIA/

 東京電力福島第1原発事故で多くの住民が避難を余儀なくされ、放射線量が高い地域は帰還困難区域に指定された福島県浜通り。国は2017年以降、6町村の同区域内に「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)を設け、住民帰還と地域経済再興のため除染などを進めてきた。原発事故から約12年。拠点での避難指示解除は進むが、生活インフラの整備が追い付いておらず、戻る人が少ないのが現状だ。
 昨年6月、避難指示が解除された葛尾村の復興拠点。解除前には30世帯82人が住民登録していたが、村中心地から離れていることもあり、帰還者はたった1人。原発が立地する大熊、双葉両町の拠点でも戻った人は大熊町36人、双葉町約60人にとどまる。
 大熊町のJR大野駅周辺は、昨年6月に避難指示が解除された。先行して解除された大川原地区には商業施設があるものの、事故前、町の中心地だった駅周辺にはなく、建物の解体が進み更地が目立つ。
 「家族向けの賃貸がなく、家探しに苦労した」と話すのは、同県会津若松市に子供2人と避難する斎藤やよいさん(50)。23年度に0~15歳までが学べる学校が大熊町に完成するのに合わせ、12年ぶりに故郷に戻る予定だ。離れて暮らす夫や子供も一緒に住むため、拠点内で広い物件を探した。「帰還困難区域に自宅があり、再建の選択肢はない。店が大川原しかない状態で、うちだけがポツンと住むのはやや不安」と吐露する。
 県内で最も長く全町避難が続いた双葉町。昨年8月に解除された復興拠点内には役場機能が戻り、JR双葉駅西側に復興公営住宅と診療所が整備された。一方、スーパーや飲食店、学校などの施設はまだない。復興住宅に入居する志賀隆貞さん(73)は「町に戻れたのはうれしいが、買い物は基本隣町。車がないと日常生活は送れない」とこぼした。
 復興拠点の避難指示は年内に全て解除される見通し。7市町村に残る拠点外の帰還困難区域についても、国は20年代に希望者全員が帰還できるようにするとし、「特定帰還居住区域」を新たに設定して整備を進める方針を示している。ただ、具体的な区域設定はこれからで、除染方法は決まっていない。

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