残る危険「ゼロになる日まで」 沖縄戦不発弾まだ2000トン―処理隊奮闘・陸自

東京, 5月07日, /AJMEDIA/

 沖縄戦で「鉄の暴風」と呼ばれた激しい艦砲射撃で使われた砲弾が不発弾として、本土復帰50年を迎える沖縄の人々の生活を今も脅かしている。対処に当たる陸上自衛隊第101不発弾処理隊は「いつかゼロになる日まで」と誓い、日々任務に取り組む。
 沖縄戦では約20万トンもの砲弾が使われ、5%が不発弾となった。回収された分や、海などに落ちた永久不明弾を除く約1950トンが未発見とされる。
 1974年に那覇市で幼稚園児ら38人が死傷した事故を機に処理体制が整備され、近年も年約700件、計20トン前後の不発弾が処理され続けている。2018年には沖縄一の繁華街、国際通りで見つかり、約2500人が避難。昨年末にも沖縄県西原町で住宅を改築した際に玄関下から250キロの爆弾が発見された。生活のすぐそばに危険が残る。
 「任官した20年前は完了まで50年とされたが、今はあと70年でも終わらないと言われている。真の意味の戦後は遠い」。こう話す副隊長の大城卓哉1等陸尉(48)は沖縄出身で脅威が身近にあり、処理隊を志した。先が見えないのは戦後、十分に不発弾を捜索しないまま建てた建物が多く残り、在日米軍基地など立ち入りが難しい未捜索地もあるためだ。
 同処理隊の隊員は23人。24時間態勢で発見に備える。不発弾の状態を確認し、弾頭や後部にある信管を取り外して安全にしてから撤去する。触れば爆発する危険が高いと判断すれば、住民を退避させ、その場で爆破処理する。年月の経過で火薬の変質や信管の変形が起き、より危険な状態の不発弾も増えているという。
 命の危険はあるが、防護服は着ず軽装で作業を行う。大城副隊長は「兵器に何を着ても意味はない。信じるのは技術だけ」と笑う。訓練の成果により、過去約2万回の出動で事故は1件もない。
 安全な日常を願う思いは若手隊員も同じだ。最前線で処理に当たる都築大樹3等陸曹(24)は愛媛県出身。沖縄に赴任した当初は「今でもこんなに見つかるのか」と驚きや戸惑いもあったが、住民の感謝の言葉に触れるうち「こんなにやりがいのある仕事はない」と気持ちが固まった。
 目標は作業の指揮を執る班長になること。最初に不発弾に触れ、状態を見極める最も危険な任務だが、技術に裏打ちされた先輩の姿に憧れた。「子どもにも同じ仕事をしてほしい。先は長くても、いつかゼロになる日まで処理の技術や体制を引き継ぐのが僕らの使命」と述べ、未来を見据えた。

Follow us on social

Facebook Twitter Youtube

Related Posts