サカナクション 山口一郎 不安な時代を音楽で“乗りこなす”

東京, 4月28日, /AJMEDIA

多彩なジャンルを融合させたサウンドで人気のバンド、サカナクション。ボーカルとギターを担当している山口一郎さんは、コロナ禍を経て、これからの音楽はさらに進化していくと考えています。山口さんが、いま時代をどう見つめ、どんな音楽表現を生み出そうとしているのか、インタビューしました。
(聞き手・小西政親アナウンサー、取材・杉浦友紀アナウンサー)

インタビューを行ったのは、山口さんの自宅。山口さんの音楽が生み出されるだけでなく、SNSの生配信やオンラインライブも行ってきた、まさに活動拠点となっている場所です。

(小西)
山口さんにとってはのいちばんのプライベートな空間。抵抗はないですか?
(山口)
こういうふうに取材したり、使うってことですか?それに対して嫌だなと思うことはないですけど、やはり、どっかミュージシャンって手が届かないとこにいるべきだとか、どんなものが好きで、ふだんどんな生活しているかっていうのは隠しておいたほうがいいみたいな、そういった考え方もあるじゃないですか。
なので、そういった部分を全部取っ払って、全部見せるっていうことっていうのは、最初ちょっとだけ、なんか怖さはありましたけど。
でも、時代的に、例えば自分がつくった曲を好きだと思って聴いてもらっても、その先にこれをつくった人はどんな人なんだろうっていうふうに興味を持つ時代になってきてるじゃないですか。きっとSNSの影響だと思うんですけど。なので、そこも含めて音楽なんじゃないかなっていう気がして、そう考えてからは、あんまり怖さはなくなりましたけど。
(小西)
そこも含めて音楽?
(山口)
よく音楽と人って言うじゃないですか。どんな人がどんな音楽をつくっているのかっていう。そこって昔、インターネットが出る前、20~30年くらい前までは、あまり興味が持たれないところだったと思うんですけど、今は人から音楽を好きになるケースもあるし、自分が好きなものはどんな人がつくっているのかっていうものに人は興味を持つ時代が来たんじゃないかなって思ってますけど。僕自身がまあ、そうなんで。
(小西)
興味を持っているっていうのは、きっと昔からあったと思うんですけど。ロックスター、どんな人なんだろうって。
でも、それを手軽に知る時代になってしまったってことですよね。
(山口)
そうでしょうね。
あと、やっぱりリテラシーもついてきましたよね。
例えば自分たちがブランディングとして「こういうふうに見せたい」みたいなものに対して、リスナーであったり視聴者の人たちも、見抜く力がついてきたっていうか、たぶんそれもSNSの影響だと思うんですけど。だから、隠せなくなってきたっていう。隠せなくなってきた分、さらけ出さなきゃいけなくなったっていう、そういう時代なのかなとも思ってますけど。
自分はただの音楽好きのおじさんで、おなかも出てきたし、運動もしないし、寝癖もあるし、普通のおじさんが音楽やってるっていうだけなんで、そこをさらけ出すっていうのは、別にそんな抵抗ないというか、そういうもんだよねっていうふうに思ってますけど。
乗り越えるではなく、“乗りこなす”
(小西)
コロナ禍で、特に自分の心に響いていたのは「夜を乗りこなす」という山口さんのことばだったんですよね。乗り越えるじゃなくて「乗りこなす」って言われるとすごく力が抜けて、よしっていう気持ちになったんですよね。
この「乗りこなす」っていうのは、山口さんはどういう思いで使っているんですか?
(山口)
「夜を乗りこなす」ってキーワードって、実は、僕が20代前半ぐらいのブログぐらいから書き始めてるワードなんですよ。当時の「夜を乗りこなす」感覚っていうのは、思春期であったり、大人になりかけていってる自分たちの、まだ大人になりたくないっていう思いというか、そういう苦しい夜を音楽を使ってどう乗りこなすかみたいな、簡単に言うとそういう思いだったんですけど、今、このコロナ禍で使ってる「乗りこなす」という意味はもっと直接的で。やっぱり不安であったりだとか、この先どうなるかわからない状況がずっと続いてたじゃないですか。
目の前にいきなりそれが訪れて苦しくなった時に、乗り越えようがないと。乗り越えようのないものを乗り越えようとする時の苦しさって、やっぱり尋常じゃないじゃないですか。
そうじゃなくて、音楽を使って、一緒に夜をどう乗りこなすか。そのために自分たちの音楽を発信するし、楽しんでいこうという、すごい普通の感覚というかね、ごくごく普通に出てきたキーワードでしたけどね、コロナ禍で、僕らは。
で、無料で動画投稿サイトでのライブ配信、映像配信とか、過去の映像配信をやったりだとか、SNSでの生配信だったりだとか、いろんなコンテンツを、曲を作るということと同時進行に何か忙しくするっていうことが、僕にとっての乗りこなし方だったし、ほんとコロナ禍で自分たちが、ある種、念仏のように唱えていたのが、「乗りこなそう」「夜を乗りこなす」っていう、あのキーワードでした。
オンラインでの新しい音楽表現を模索
コロナ禍でライブがたびたび中止になる中、サカナクションが力を入れてきたのがオンラインライブです。生演奏にCGを融合させ、全体が一つの映像作品になるようにしたり、俳優を登場させ、舞台と生演奏を組み合わせたり、オンラインだからこそできることを模索してきました。
(小西)
山口さんは、コロナになってすぐ、いろいろ動き出したなっていう印象があるんですけど、コロナ禍と言われて2年がたちます。この間、どういうことを感じていたんですか?
(山口)
音楽って、CDをつくることとライブをする、この二つしか表現する場所がないんですね。音源をつくるということはライフワークとしてありますけど、ライブをするっていうことって、ライフワークを超えたミュージシャンとして大切な核の部分というか、これがなくなるとミュージシャンである意味がないぐらいの大きなものだったものができなくなっちゃったと。だから、ライブにかわる音楽コンテンツを、このコロナという制限がある状況の中で発明しようと。そういう気持ちにチーム全体でなったんですよね。スイッチをバチッて切り替えたというか。コロナはとりあえず、なくならないものとして考えようと。
(小西)
最初から?
(山口)
最初から。コロナはなくならないと。コロナがもし収まっても、元の世界には戻らないと。であれば、このコロナ禍で、一つ新しい音楽コンテンツを発明して、それを例えばコロナが徐々に収まっていった時にも、ちゃんと自分たちの音源をつくることとライブをすることというライフワークに一つ足せるようにしようと。ライブを見る、音楽を聴くっていう以外に、ちゃんとオンライン上で何かワクワクできたりとか、楽しめる音楽コンテンツがあるべきだろうなと、僕は思ってたし、コロナ禍でそれがやっぱり必要だなと改めて感じ直したっていうのも大きいですけどね。好きなことをやっても、好きじゃないことをやっても、どっちにしろ苦労するじゃないですか。例えばコロナのことで言うと、コロナが明けるまでじっと耐えて、なんとなく今までのシステムの中で音楽を続けていっても苦しいし、何か新しいことをやろうと、新しいコンテンツを見つけようと発明しようと思って努力していても、苦しいんですよ。どうせ苦しいなら、何かワクワクするほうで苦しんだほうがいいかなっていうか。僕はそういう気持ちで、苦労するなら好きなほうで苦労しようみたいな。ほんと確信もなかったし、現時点でも大成功したかといえば、それはまだわからないんですけど、とにかく楽しいほうを選んできたって感じですかね。

(小西)
サカナクションのオンラインライブ、初めて見た時に、美しい映像と演奏が混ざり合っていて、見ていて何が現実なのか、どれがリアルなのかっていうのがわからなくなってしまったんですよね。
(山口)
そうですね。たぶん見られた方はみんな感じたと思うんですけど、「これ生なのか、生なんじゃないか、わかんない」みたいな。だから、結構言われたのが、「これ、生でやる必要ないんじゃない」って言われたんですよ、オンラインライブを。収録でいいじゃんみたいな。
でも、生で見た人は、絶対に生で演奏されている緊張感とか、よくわからない質量を感じたはずなんですね。あれが収録だって言われると感動が激減するっていうか、編集でカットが入ってるかもしれないと思うと。だから、僕は目に見えない、よくわからない質量っていうものが、あのオンラインライブには入り込んでるんじゃないかなと。怨念のような(笑)
(小西)
私は、ずっと今までリアルのライブのサカナクションを見てきたから、違和感があったんですけど、一緒に見ていた中学生の息子は「ミュージックビデオぽくっていいよね」って。「これ、直接見るよりいいんじゃない」って言ったんですよ。それはどう思いますか?
(山口)
僕、それスタッフにも言われたんですよ。オンラインライブでライブを見すぎてて、久々にリアルライブをやったときに、「一郎の寄りが見えないんだね」って。「アップがないんだなって思った」って言ってて。
つまり、映画と舞台って違うじゃないですか。感動の種類も違うし、ものとして、カルチャーとしても違うじゃないですか。たぶん、オンラインライブとリアルライブっていうのも、それぐらいの違いがあるんだろうなって思いましたね。オンラインライブは映画を見る感覚で見てて、リアルライブは舞台を見るように見る楽しさがあるっていうか。だから、どっちが好きっていうのって、やっぱり好みなんだろうなって思いましたけどね。
でも、たぶん今の子たちからすると、オンラインライブで僕らがやったような表現を見るほうが見慣れてるから、すごい自然に感じるんじゃないかなと思いますけどね。だから、家で映画を見るのも楽しいし、舞台を観に行くのも楽しいじゃないですか。
それと同じように、家でオンラインライブを見て感動することもできるし、外でライブを見に行って、またそれとは違う感動も楽しめるというか。
(小西)
何回も繰り返しやってみて、実際、手応えはどうなんですか?
(山口)
正直、僕ら、オンラインライブをやって1回目にやって、結構評判がよかったというか、反響があったんですよ。だから、いろんな人がこういう感じのオンラインライブやり始めてほしいなって思ったんですけど、誰もやってくんなかったんですよね、ほかに。続いてくれなかったんですよ。早く同じことをやる人たちが周りに増えてほしいなとは思っているんですよね。せっかく発明したから、これはみんなで盛り上げていきたいなと思うんですけど。
ただ、絶対に僕が思うのは、ここ5年、10年ぐらいで、音楽映像のサブスクリプションサービスって生まれると思うんですよ。いま映画のサブスクリプションサービス、いろいろあるじゃないですか。ああいう中に、音楽専門のサブスクリプションサービスが生まれるはずなんですね、過去のライブ映像とか、新しいものも含めて。
そういう部分で、音楽の映像のコンテンツっていうものは、絶対に必要になってくると思うし、ただ、アルバム1枚でミュージシャンが表現して、リアルライブで表現するっていう時代ではなくて、映像作品として音楽表現をしていかなきゃいけないっていう状況に必ずなると思うんですよ。
だから、そう思って、こういう配信を始めたっていう側面もあるんですけど、ただ、なかなかほかにね、そういう同じことをやる人が出てきてくれないっていうのは、ちょっと寂しいなとは思ってるんですけどね。

僕の勝手な考えですけど、やっぱり本当に正しいものであったり、本当に楽しいものって、やっぱり最初はマイノリティーなんですよね。なかなか支持されないと思うんですよ。
ただ、それを続けていくと、魅力的なものであれば、いつか必ず主流になると思っているんですよ。いいときも悪いときもあるし、そしたら、自分たちは信じて発信したという事実は変わらないから、それを懲りずに続けていくっていうことが大事だなと思うのと、今この瞬間に評価されるものをつくろうと思っても、やっぱりやっててワクワクしないと思うんですよ。
5年後、10年後、20年後、そこに残るもの、未来に残るものを今つくること。そこに対して、迷いを持ったりはしたくないなっていう気持ちはありますけどね。
コロナ禍での生の声を“取材”
コロナ禍で、山口さんはSNSの生配信を使ってリスナーと対話をしてきました。小学6年生、タクシー運転手、歯科衛生士など、年齢や職業もさまざま。今どんな生活をしているのか、何を感じているのかを直接尋ねて、生の声を聞いていきます。
(小西)
SNS生配信でたくさんの人と交流をしていました。
あれはどうしてなんですか?
(山口)
ずっと闘ってきた矛盾があったんですよ。
たくさんの人たちに対して音楽を届けていかなきゃいけないのにもかかわらず、自分は朝、電車にも乗らないし、一日中レコーディングして、朝までレコーディングして、昼起きて、普通の人たちと違う生活を送っている。にもかかわらず、みんなの気持ちを代弁するものをつくらなきゃいけないっていう、矛盾した状況にずっと悩んでいたんですね。
そんな中、ステイホームになって、僕もリスナーも、みんな家にいたんですよ。デビューして初めてといっていいぐらい、世の中と自分の生活がリンクしたんですよね。同じ気持ちを味わっていると思ったんですよ。自分が今、感じてることをそのまま言葉にすれば、みんな感じてるっていう、何か不思議な現象だなって思ったんですよね。
じゃあ、この感覚の同じ時に、みんなを取材したいと思ったんですよ。
(小西)
取材したい?
(山口)
リスナーの人たちがどんなことを考えているのか、コロナにどんな影響を受けているのか、その人が自分たちの音楽を好きになってくれた理由であったりとか、どんなものを期待しているのかとか、取材したいなって思った時に、SNSの生配信で、対談機能みたいなのが始まったんですよね、ちょうど。これ使えるなと思って、やってみたっていうのが始まりですね。
(小西)
何を聞きだそうと思っていたんですか?
(山口)
まず、その人はどんな仕事をしてるのか。学生なら、どんなことを学んでいるのか.
それに伴い、コロナにどんな影響を受けたのか。ふだんどんな音楽を聴いてるのか。
サカナクションを聴くきっかけになったのは何なのかとか。あと、どんなものを望んでるのか、音楽に。そのへんをきっちり聞けたらいいなと思って、絞って取材してたんですけどね。ミュージシャンであるっていうだけで話してくれるわけですよね。
なんか、ふと客観的に自分がやってきた行為を見ると、ミュージシャンがリスナーと話してるっていうこのコンテンツ自体、音楽になってんだなと思って。音楽のコンテンツとして、見てもらえてるんだなと思って。
(小西)
その交流が音楽なんですか?
(山口)
メロディもないし、歌詞もないけど、それを生み出すための取材をしているっていうのを公開しているっていうだけで、音楽のコンテンツになってるんだなと思って。
例えばそれがお笑い芸人さんがやられてたら、たぶんお笑いのコンテンツに変わるわけじゃないですか。それが例えば社会学者がやっていれば、社会学の授業になるわけですよね。
ただ、ミュージシャンがやると、それがやっぱり音楽が好きな人たちがそれを見て考えるわけだから、曲を聴いてる感覚とは違うけど、ちゃんと音楽のコンテンツになっているっていうのは、あとから客観的に感じましたけどね。
追い求めているのは“リアル”
(小西)
直接対話するっていうことにこだわったのはなんでなんですか?
(山口)
直接対話する以外に、やっぱり本音聞けないですよね。意味がない、リアルじゃないと。簡単にわかるじゃないですか、ほんとのこと言ってるのか、かっこつけてるのかなんて。しかも、僕がわかるってことは、僕がかっこつけたら、受け取り側もわかるんですよ。
で、僕がうそついてだまされる人、僕のうそを信じちゃう人って、たぶん一定数いると思うんですけど、その見抜いた人達のほうが圧倒的に多いし、そういう人達って二度と信用してもらえないと思うんですよね。だから、やっぱり、お互いガチンコじゃないと意味がないなあと思いますけど。

結果的に誰かのフィルターを通ったりしたものを見るよりも、自分の目で見たり、直接聴くほうが、それはリアリティーがあって、自分の中に入ってくると思うんですよ。たぶん、どんなことでもそうだと思うんですけど、なんかそれがSNSでの生配信での交流っていうものを、僕の場合、すごいいちばんリアルを感じたというか、みんなの生活が見えたというか、なんか背景の、家の感じとかもわかったりとかするじゃないですか。ほんとにサカナクション好きなんだなみたいな、サインが飾ってあったりとか、あと、なんかこう、親が寝てるから押し入れに入って話してますみたいな学生とか、すごいリアルですよね。なんかそういうのがよかったですけどね。
“リアル”を見つけ、“リアル”を歌にする
(山口)
変わりましたよね、コロナ前と今の生活って、明らかに。
元に戻るとは僕は思ってなくて、音楽の楽しみ方やそれ以外の文化への触れ方も結構変化したと思うんですよ。文化に興味がない人も。逆にこのコロナ禍で興味を持った人もいるし、離れた人もいるだろうし。
人それぞれだと思うんですけど、やっぱり変化が起きたっていうことを受け入れていくっていうか、発信する側としても、やっぱり受け入れていくというのが、すごく重要なのかなと。受け取り側も変化したことも、ちゃんと理解するというかね。結構劇的にこれから変化していくんじゃないかなと。音楽業界も含めて、クリエーターとしても、感覚が変化していく時が来たなっていう感じはひしひしと感じてますね。

(小西)
今、もう十分、激変を迎えて、私たち音楽を聴く側も、発信する側も変わってきてるっていうのは感じますけど、さらに変わっていきますか?
(山口)
変わりますよ。絶対変わると思う。まず、ヘッドホン、イヤホンも進化しますからね。
(小西)
そういうデバイスの話から。
(山口)
デバイスもアウトプットも全部進化。これで止まるわけないじゃないですか。5年後には、たぶんとんでもないことになってますから。ということは、やっぱり自分たちも、発信する者も変化していくし、発信のしかたも変化していくと思うし。これでメタバースがどうなるのかみたいな話になってくると、もっと変わりますもんね。
だって、ちょっと前までスマホなんて想像できなかったわけですよね。好きな子に電話するのに家の電話にかけて、親が出たら切るみたいな、そんな時代からもう普通にスマホで会話できたり。

僕、別れの曲が書けなくなったんですよ。

(小西)
なんでですか?
(山口)
僕らの時代の別れって、例えば転校生がクラスから出たら、今生の別れだったじゃないですか。二度と会えないっていうか。
でも、現代の別れって「LINEするね」ですもんね。だから、つながってるけど、連絡を取らない別れじゃないですか。だから、僕らの時代よりも、残酷な別れなんだろうなと思うんですけど。だから、やっぱ、その感覚を音楽にするっていうのがね、できなくなりましたね。
(山口)
例えば、世界を変える一曲が、今、世の中に生まれたとするじゃないですか。
でも、その一曲は、たぶん、世界を変えないんですよ。
(小西)
変えるけど、変えない?
(山口)
変えないと思う。
なんでかって言うと、どう届けるかが大事だから。どう人に届くか、どういう場合どういうケースでその曲が人に届くか、それがすごく大事だと思うですよね。

今、誰もがどんな状況でも簡単に発信できる時代じゃないですか。それって実はめちゃくちゃ便利なようで、本質が伝わらない可能性もあるんですよ。だからこそ世の中は変わらないし、戦争も起きるわけですよね。
だから、音楽にそもそも社会を変えたり、人を変えたりするエネルギーがあるのかどうか、それすら僕は疑わしいんですけど。でも、自分だけが信じられるんですよね。
みんながみんな自分を信じてるんですよ。自分が生み出すものが、なにかしら人に影響を与えるかもしれないとか、自分を変えるかもしれないとか、やっぱり、その質量みたいなものが人に影響を与えるんだと思う。
そこにちょっとでも不純な動機であったりとか作為性が入ってくると、どんどん見抜く人が増えてくるというか。すごく難しいなと思うんですけどね。
自分が今生きているこの時代をどれぐらい誠実に見て、リアルを知って、それをなんかこう、目を閉じず、ちゃんと見て、自分なりに恐れず、大衆に発信するっていうか、なんかそれをやっぱりやっていかないと、ほんとにずっと愛されるものは作れないだろうなと思う。

(小西)
これからの時代を私たちが乗りこなすためには、どんな音楽を届けないといけないと思っていますか?
(山口)
うーん。テクノロジーの進化でリアルをなかなか感じられなくなったじゃないですか。それは便利にもなりましたけど、僕らの生きてきた時代とは違うリアルが存在してると思うんですよね。でも、リアルって確実に存在していて、そのリアルの中で、みんな生きてるわけですよね。
僕は、やっぱ、音楽を作ることを仕事にしている人間として、そのリアルを探し続けなきゃいけないとは思ってるんです。見つけ続けなきゃいけないし。でも、そのリアルを見ることって、ま、自分がリアルで生きることもそうですけど、やっぱ、つらいじゃないですか、どうしても。
でも、せめて自分がそのリアルを見て、リアルを歌にして、それをアンリアルでも、オンラインという形になっても、新しいコンテンツとして発明して、新しい感動を発明できたら、なんか、みんなの夜を乗りこなす一つの餌として。
(小西)
餌?
(山口)
餌として、使ってもらえるんじゃないかなって思うし。ツールっていう言い方するとかっこいいけど、餌だと思う。それをやっぱり作り続けていくこと、時代に合わせて、それをやっぱり続けていきたいですね。

Follow us on social

Facebook Twitter Youtube

Related Posts