たたき上げでつかんだ夢 自分信じ、努力続ける―W杯サッカー・守田選手

東京, 11月27日, /AJMEDIA/

 「海外に出て、歴史に残るようなプレーができるプロサッカー選手」。ワールドカップ(W杯)日本代表の守田英正選手(27)が小学校の卒業文集につづった夢だ。自分を信じ努力を続け、無名の存在からはい上がった。初めて挑むW杯の舞台。ドイツ戦はベンチからチームメートを見守り、「刺激を受けた」。27日のコスタリカ戦への出場を目指し、調整を重ねる。
 ボールを蹴り始めたのは物心がつく前。5歳上の兄和正さん(32)は「小学1年の頃には僕よりうまかった」と明かす。
 ガンバ大阪のジュニアユースのセレクションに落ち、兄と同じ大阪府高槻市立第九中学に進学。全国大会出場を目標に、サッカー部の練習に打ち込んだ。1年間で休みは年末年始の3日ほど。ほぼ毎日朝練をこなし、練習後にはへとへとの体にむちを打って、正門前の坂道を10~20回ダッシュした。
 中盤の選手として、1年生から試合に出場した。「パワーやスピードは3年生にかなわなくても、それを補うだけの判断力と技術があった」と、当時顧問だった隠岐尚武さん(62)は語る。
 勉強や学校行事にも常に全力。試合中、チームメートのミスを文句一つ言わずにカバーするなど、人間性も評価され、キャプテンを任された。
 3年時には念願の全国大会で3位に。「10番」を背負い、チームの得点9点中4点を挙げた。だがセレッソ大阪のユースから声が掛かったのは、守田選手ではなく小学校からの親友だった。
 「とても悔しかったと思うが、態度には出さなかった」。隠岐さんは当時を振り返る。一方、親友に向けたメッセージには守田選手の思いがにじみ出ていた。「お前にだけは絶対負けへんぞ!」
 高校では全国大会出場はかなわなかったが、夢を追い、強豪の流通経済大へ。次第に頭角を現し、「大学ナンバーワンボランチ」と呼ばれるまでに成長した。川崎フロンターレでプロデビューを果たし、1年目で日本代表に招集された。
 「一足飛びに伸びたわけではなく、こつこつ積み重ねた結果」。隠岐さんはユース出身でも街のクラブチーム出身でもない教え子を「中体連の星」と表現する。「存在そのものが地域や子どもたちに夢を与えてくれる」と話し、W杯での活躍に期待する。

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