コンヤで3、4世紀の岩窟墓が発見

東京, 9月1日, /AJMEDIA/

ヘレニズム時代、ローマ時代、ビザンツ時代、セルジューク朝、カラマン侯国、オスマン帝国の痕跡を残すタッケリ山で進められている発掘調査で重要な発見があった。

山頂にある歴史的な要塞、多数の貯水槽や寺院があり、古文書では「ゲヴェレ山」とも呼ばれている場所ではこれまでにもファーティヒ・スルタン・メフメト時代の砲弾やハマムの構造、秘密の通路、多数のセラミック片や戦具が発見された。

発掘調査の科学顧問を務めるネジメッティン・エルバカン大学の社会科学・人文科学部美術史学科のアフメト・チャイジュ教授は、地域で以前行われた発掘ではローマ時代の岩窟墓が発見されており、ローマ時代の作品も見つかったと説明した。

チャイジュ教授は次のように話した。

「以前確認したものと合わせて岩窟墓の数は35に達した。このことも次のことを示している。城のふもとはネクロポリスエリアであった。岩窟墓がある構造が発掘された。現在精力的に作業が続けられている。岩窟墓は3、4世紀のものである。アナトリアの様々な場所で遭遇する天然の岩に彫られた、シングルまたはダブルの部屋があるサンプルを発掘した。この点でキリストラとその周辺を除くとコンヤ県でこの様式はあまり一般的な状況ではない」

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