にぎわう沖縄の街、横浜・鶴見 復帰50年契機に「歴史知って」

東京, 4月25日, /AJMEDIA

 全国有数の沖縄タウンとして知られる横浜市鶴見区。明治以降、沖縄から京浜工業地帯に出稼ぎに来た多くの人が移住し、今もゆかりの店が立ち並ぶ。復帰50年に合わせたNHKの朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」の舞台にもなり、にぎわいを見せる街の関係者は「この機会に、人々に鶴見や沖縄の歴史を知ってもらいたい」と語る。
 1953年、もともとあった県出身者の集まりを母体に「鶴見沖縄県人会」が発足。沖縄の伝統格闘技「沖縄角力(すもう)」の大会などを開き、つながりを深めてきた。
 会長の金城京一さん(73)は今帰仁村古宇利島生まれ。20歳の時、荒波に揺れる小さな船に乗って上京した。当時は復帰前で、本土に渡るには琉球列島米国民政府発行の「日本渡航証明書」が必要だった。「沖縄にはない電車や首都高に感動した」と振り返る。
 沖縄にいた時の月給は33ドル(当時のレートで約1万2000円)。鶴見で就いた配管工の給与は約5倍だったが、空を覆う光化学スモッグや、海水浴場の海の汚さに驚かされた。
 朝ドラを見て「角力のシーンはまさに自分の小さい頃」と懐かしむ。2020年以降、新型コロナウイルスの影響で鶴見の角力大会は2年連続中止になり、「今年こそ開きたい」と力を込める。
 JR鶴見駅から約2キロほど海の方に離れた一角にある「おきなわ物産センター」。鶴見沖縄県人会館1階にある店内には沖縄の関連商品約1000点が並ぶ。社長の下里優太さん(41)は那覇市出身で、小さい頃から長期休みのたびに父親が住む鶴見に遊びに来ていた。16年、父親の後を継いで社長に就任した。
 「昔は沖縄出身であることに劣等感があった。本土の人になりたいと思ったこともある」。小学生の頃、東京に住む親戚の子どもに「何そのしゃべり方」と方言を指摘されたが、大学入学で神奈川県に住んだのを機に、沖縄の海のきれいさや人の温かさなどを再認識するようになった。
 朝ドラが4月に始まった前後から店の客足は急増。土日には店の前に行列ができているという。「鶴見は人も温かく、昔の沖縄が色濃く残っている。一時のブームではなく、今後も来続けてもらえるよう盛り上げていきたい」と笑顔を見せた。

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