「命あれば何とかなる」 震災と空襲で家焼失―次世代へ伝承・90歳沢田さん・神戸

東京, 1月16日, /AJMEDIA/

 阪神大震災から17日で28年となる。あの日、火災で自宅を失った神戸市灘区の沢田真里子さん(90)は、太平洋戦争の時にも米軍の空襲で自宅を焼失した経験がある。住み慣れた家を失った悲しみや悔しさは消えないが、「命だけあったら、後は何とかなる」と命の大切さを訴える。
 震災発生時、激しい揺れが自宅を襲ったが、被害は少なく、部屋の砂壁のかけらが落ちた程度だった。揺れに驚いた沢田さんは様子を確認するため、夫と外に飛び出た。すると、近所の家の2階から火が出ていた。勢いは強く、間もなく自宅も炎に包まれた。
 すぐに公園の貯水槽に向かったが、貯水槽を開ける扉の鍵の在りかが分からず、自宅が燃えるのをただぼうぜんと見詰めるしかなかった。
 夫が幼い頃から住んでいたこの家に、沢田さんは結婚を機に同居。子どもが生まれると、夫が2階部分を増築してくれた。
 震災から9カ月後、夫妻で自宅を再建したが、家族写真など思い出の品々は全て灰になった。住み慣れた家を失ったことを、夫は「無念だ」と言い、間もなくがんのため70歳で亡くなった。
 沢田さんが13歳の時には、神戸市須磨区の自宅が空襲で焼失した。覚えているのは、父親が「命だけあったらええんや」と抱き締めてくれたことだ。空襲、震災と2度も自宅を失い、恨めしさは残るが、「大半のことは生きてさえいれば癒えるもんや」と話す。
 昨年11月、地元の高校生に誘われて初めて震災当時の状況を若者に話し、「震災があったことを忘れないでほしい」と訴えた。自死を選ぶ若い人たちがいるが、沢田さんは「命あってこそ。大切にしてほしい」と願っている。

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