「住まなくても愛情変わらず」 なじみの店再建、酒開発も―元住民、復興に尽力・福島県双葉町

東京, 2月25日, /AJMEDIA/

 東京電力福島第1原発が立地し、事故後長く全町避難を余儀なくされた福島県双葉町。昨年8月、一部で避難指示が解除されたが、戻る選択はせずに故郷の復興に心を寄せる人もいる。「住まなくても愛情は変わらない」。それぞれのやり方で町の未来のために尽くそうとしている。
 町産業交流センター内でファストフード店「ペンギン」を経営する山本敦子さん(51)。事故前に母がやっていた店の屋号を継ぎ、2020年10月、センター開所に合わせてオープンさせた。「町がどんどん変わっていく中で、知っている顔があると安心するでしょう」と理由を話す。飲食店がほとんどない町で、憩いの場になっている。
 仕入れなどもあるため、現在は同県いわき市の自宅から町に通う。「いつかは戻るかもしれないけど、今は帰ることは考えていない」と話し、「大事なのは心の寄せ方。できる人がやれることをやったらいい」と訴える。「お客の中には、移住を考えている人もいる。多くの人に双葉を知ってもらうきっかけになるよう、人が集まる企画を積極的に提案していきたい」と意気込んだ。
 東京都に避難した高崎丈さん(41)は、町で親しまれる洋食店「キッチンたかさき」の息子として育った。震災当時は町内で居酒屋を経営していたが、「避難の際、『もう帰れない』と覚悟した。家族もいて生きていかなきゃならないし、町に関わる気もなかった」と振り返る。転機は、20年に携わった町内を壁画で彩る「FUTABA Art District」プロジェクト。副実行委員長として壁画完成を見守った後、町でのイベントなどに携わるようになった。
 現在は、都内で飲食店を営みながら、町の復興再生に力を入れる。町名を冠した蒸留酒を共同開発したほか、21年2月には「交流の拠点に」と町内に株式会社を設立。「双葉には民間や個人の力が必要。地元が何を求めていて、新しく双葉に来た人は何をしたいのか。双方の思いを共有することが大切だ」と話す。
 「移住や定住が全てではない。現実的に捉え、交流人口に発展の可能性を見いだすのもいい」と高崎さん。「次世代のために、誰でも受け入れられる土台を町につくれたら」と笑った。

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