After東京五輪~これから新体操はどこに向かうのか? 

東京, 3月22日, /AJMEDIA/

北京五輪での涙から、三重世界選手権での笑顔へ
 2008年。

 フェアリージャパンは、北京五輪出場を果たした。2008年になってから2007年ユースチャンピオンの遠藤由華も加入し、レギュラー争いも熾烈になったが、その分、チーム力は確実に上がっていた。北京五輪時のフェアリージャパンメンバーは、三澤樹知、坪井保奈美、原千華、稲垣早織、田中琴乃、遠藤由華。この中で、2005年末のトライアウトで選抜されたのは坪井、原、稲垣の3人だけだった。ずっと一緒に練習し、生活を共にしていても本番のフロアに立てるのは5人。そこには厳しい競争があるのだ。

 フェアリージャパンの北京五輪は、予選10位で決勝には進めず、というホロ苦い結果に終わった。しかし、8位で決勝進出したアゼルバイジャンとの点差は0.8という僅差で、日本は「フープ&クラブ」で場外という大きなミスが出ていただけに、ミスがなければ決勝には進めたのではないか、という悔しさと手応えの両方を感じた大会だった。

 そして、北京での忘れ物を、彼女たちは2009年の世界選手権で取り戻す。団体総合8位、種目別決勝「リボン&ロープ」では4位と健闘。日本開催だったこともあり、種目別決勝時は会場の歓声と手拍子で会場が揺れているようだった。北京五輪のときは涙にくれていた選手、茫然自失としてた選手たちが、演技後に見せた満面の笑みは「ここまでやってきてよかった」と物語っていた。北京五輪で決勝進出を逃したときに、辞めたい、続けられないという気持ちになった選手もいたはずだ。それでも、誰一人欠けることなく、この世界選手権まで踏ん張った。その彼女たちの粘りで勝ち取った「4位」だった。

 そして、この結果がフェアリージャパンを次の段階に進めることになった。

「村田・横地」後の個人を支えた選手たち 
 村田・横地が抜けた後の日本の個人をリードしたのは、日高舞(東京女子体育大学)で、2008、2009年の全日本選手権を連覇。2009年には日本で開催された世界選手権にも出場し、個人総合で決勝進出し15位になっている。日高がチャンピオンだった時期、日高とトップ争いを演じていたのが井上実美(飛行船新体操クラブ)、大貫友梨亜(東京女子体育大学OG)で、この3人はそろって2009年の世界選手権に出場しているが、2005年の世界選手権では日本の団体メンバーだった3人だ。彼女たちが日本の団体メンバーを務めたのは2005年1回きりだが、その後も個人選手として活躍し続けてくれたことは、「日本代表経験者」としての大きな貢献だったように思う。

新生フェアリージャパン、ロシアへ!
 2009年末、NTCでフェアリージャパンのトライアウトが行われた。2005年のときとは比べ物にならないほどの多くの選手がこのトライアウトには参加していた。それまでのフェアリーメンバーで残留を表明していたのは田中琴乃と遠藤由華のみで、大幅な入れ替えが予想されていただけに、フェアリー入りを夢見る選手たちにとってはチャンス到来のトライアウトだったのだ。

 このときに選抜されたのが、ロンドン五輪時のメンバーとなる畠山愛理、サイード横田仁奈、深瀬菜月、三浦莉奈、松原梨恵らだが、彼女たちはメンバー入りが決まるやいなや、ロシアでの長期合宿へと旅立っていった。2010年から日本の団体は、新体操強国ロシアの懐に飛び込むという強化策をとったのだ。中学の卒業式もまだ、というタイミングでロシア行きとなった選手もいるなど、チームの平均年齢も一気に下がった中での思い切った施策だったが、それまでとはけた違いの強化費用がつぎ込まれていることは想像に難くなく、それだけ日本が「団体強化」に本気になった証ともとれた。

「北京五輪出場ゼロ」の個人競技に突き付けられた厳しい状況
 一方で、個人選手たちはそのあおりを受けるかのように、世界に出ていくチャンスが狭まっていた。2010年には、代表決定戦上位選手たちによるコントロールシリーズが導入されたが、これは順位だけでなく「世界で勝負できる」と思われるターゲット得点を獲得できなければ世界選手権には派遣しないという厳しいものだった。2010年は大貫と当時高校生だった山口留奈(イオン)の2人だけが世界選手権に出場。2011年は大貫、山口、中津裕美(東京女子体育大学)が出場。2009年には世界選手権に出場している穴久保璃子(イオン)はどちらの年も代表決定戦では上位にいながら、コントロールシリーズでターゲット得点に届かず世界選手権出場を逃している。この方式にはそういう厳しさがあった。

 つまり、世界の舞台で得点をとれる可能性があると認められる選手でなければ国際大会には派遣しない、個人競技に関してはそういう時代になっていたのだ。

「世界一美しいチーム」とロシアが称えたフェアリージャパン
 2010年のシーズン当初、ロシアのメディアに突然、フェアリージャパンの記事が載った。まだロシア合宿を始めて半年にもならないころで、なんの実績もないチームだったが、ロシアは手放しで日本を褒めていた。「世界一美しいチームがロシアの指導を受けて素晴らしい進化をしている」というような内容だった。たしかに、当時のフェアリージャパンは、史上最高に身長も高く、日本人離れしたプロポーション、容姿だった。だからこそ、ロシアも指導を引き受ける気になってくれたのかもしれないが。この2010年のロシアから日本への高評価は、少なからず世界の新体操界での日本の立ち位置を引き上げる効果をもっていたように思う。

 ここからフェアリージャパンは、2009年までの「泥臭い」強化から次のフェーズに変わったのだ。

 もともと選抜団体方式になったときから、プロポーションの良さはフェアリー入りの必須条件だった。とくに身長は最低でも160センチはないと難しい。健康問題もあるとはいえ、体重は多少なりとも努力で変えられるが、身長や手足の長さなど、努力では変えられないものも条件となると、多くの選手たちにとってフェアリーは「挑戦すらできないもの」になりつつあった。それが、ロシアでの指導を受けるようになってからは、結局はロシアのコーチが気に入らなければ使ってもらえない、試してももらえない。そこには日本側の意向の入る余地はないようだった。

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