「自由に生活できる」と喜び 拠点内で牛育て続ける夫婦―避難指示解除・福島県大熊町

東京, 7月1日, /AJMEDIA/

 特定復興再生拠点区域(復興拠点)に指定されていた福島県大熊町下野上地区の避難指示が30日、解除された。東京電力福島第1原発から西約6キロの同地区で、一時は野生化した牛を育て続ける池田光秀さん(61)は「ようやく誰の許可も必要なく、自由に生活できる」と喜んだ。
 池田さんは会社勤めをしながら、母牛を育て子牛を産ませる「繁殖農家」として妻の美喜子さん(64)と共に黒毛和牛を育ててきた。2011年3月の原発事故直後、飼育していた牛31頭を残して避難。「避難先を転々とする中、置いてきた牛たちが気掛かりだった」と振り返る。自家用車で一時帰宅ができるようになってからは、逃げ出して野生化した牛を帰るたびに捜し、牧場に連れ戻した。
 「(牛たちは)何も悪いことはしていない」との思いから、殺処分は拒んだ。老衰や病気で数は減ったが、現在17頭を世話する。処分対象となっているため出荷はできないが「ここで最後まで面倒を見ると決めている」と決意を示す。牛の血液検査や解剖など、大学などが実施する放射線の影響に関する研究にも協力している。
 避難先の同県広野町から、牛の世話のために約25キロ離れた大熊町に通う日々を夫婦で続けてきた。避難指示が解除されたことに、池田さんは「自分の家や敷地に出入りするという当たり前の行動なのに、ことあるごとに許可が必要なことが悔しかった。解除は一歩前進だ」と話す。昨年7月に拠点内に再建した自宅と2拠点で生活する予定だ。
 解除された30日は「何事も初日は大切にしたい」として会社を休み、2人で牛に餌をやった。池田さんは「きょうはお祝い。カツオの刺し身で晩酌する」と笑顔を見せた。
 ただ、大熊町に住むかどうかは決めかねている。美喜子さんは「周辺に買い物するところもない。今の状況で完全に戻るのは難しい」と漏らす。池田さんも「周りに住民がいないのは寂しい」と話し、「人を呼び込めるよう、毎日開いている病院や店といった生活環境の整備を行政の責任で進めてほしい」と訴える。
 将来は新しく牛を買い、誰でも触れ合えるような場所を作るのが願いだ。「事故前のように繁殖農家を続けるのは難しいかもしれない。それでも、ここで『牛飼い』ができるんだということを示したい」と話した。

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