活気ある首都、愛想がいい人々でもみんな言うことが同じという怖さ Part-2

東京, 2月20日, /AJMEDIA/

停戦後も衝突は絶えない。 2022年9月には両軍の戦闘で約300人の死者が出た。 アゼルバイジャン側 が仕掛けた、との報道が欧米では一般的だ。
「アルメニアの工作員が地雷を仕掛けようとして、我が軍が排除したのがきっかけでした。私たちは彼 に対し、和平の席に着くよう要請してきたのに」
この衝突に関しては、 女性兵士が残忍な形で殺害される映像が出回った。 アルメニア側は、自国の捕 がアゼルバイジャン兵に処刑されたのだと説明する。
「あれはフェイクです。 アルメニア側の残酷行為や戦争犯罪について、 なぜ誰も関心を持たないのでし ょうか。 彼らがわが国の兵士や市民に何をしたかを示すいくつかのビデオがあるのに」
もちろん、 少将の説明はアゼルバイジャン側のナラティブ(語り口)であり、アルメニア側にはアルメニ ア側のナラティブがあるだろう。 第2次紛争で、 ナゴルノカラバフに暮らすアルメニア人らは連日、アゼルバイジャン側からのミサイル攻撃にさらされ、多数の死者と多くの避難民を出した。 この戦争は、直接 の引き金はともかく、アゼルバイジャン側が長年にわたって準備したうえで起こしたのを、疑う人は少な い。
もっとも、 少将は武力行使についても自国の立場を正当化した。

欧州の政治家らはこれまで私たちに「占領された領土は諦めろアルメニアと妥協せよ』と非公式に 働きかけてきました。こうした国際社会の態度をいいことに、アルメニアは攻撃的な態度をとり続け、我 が国の村をロケット弾で攻撃してきた。 今こそ、侵略者を排除する時だ。こうして、我が国の指導者は反 攻作戦に着手したのです」

我々は30年間我慢したのに、国際社会は何もしてくれなかった、だから武力を使わざるを得なかった __これは、今回アゼルバイジャンで会った人々が共通して掲げた論理だった。 ただ、広く受け入れら れる論理かどうか。 攻撃を受けた側としてのアルメニアへの同情も、国際世論には根強い。

一方で、こうして踏み切った戦争での勝利は、アゼルバイジャン人に大いなる自信と余裕を与えたようだ。

自信に酔う戦勝記念日 「全域奪還」の願望

筆者が首都パクーに滞在中だった昨年11月8日は、第2次紛争の戦勝2周年の記念日だった。 夜、カ スピ海沿いの遊歩道で記念コンサートが開かれ、 若者たちが国旗を担いで集まった。

経済大学に通う女性グネルさん (19) は 「勝利をもたらした兵士たちが誇らしい。 感激しています」と喜 びを隠さない。 「カラバフは私たちの土地。 今住んでいるアルメニア人も、アゼルバイジャン国民になるな ら、そのまま生活できますよ」。 ならば、そのアルメニア人と共存できるのか。 「難しい質問ですが、 大統 領の方針に従います」

スポーツ学校のレスリング教師イルガール・ラスモフさん(59)も「土地は渡さないが、アルメニア人とは 共存できる。 そうする他に道はないし」と話した。

言葉の端々に、明言はしないものの、さらなる軍事的成果を願う意識がにじむ。 今回はシュシャまで奪還した。次はナゴルノ・カラバフ全域の奪還だ、と。

街には「カラバフはアゼルバイジャン」のスローガンがあふれる。 これも、さらなる軍事行動を狙ってい ると受け取れる。 この日朝、 目抜き通りであった軍隊行進の写真を撮っていると、地元のテレビ局から いきなりインタビューされた。 「どこから」「日本から」 「記念日をどう思うか」「この国にとって大事なのはわ かる」。 そのような会話を交わしたあと、キャスターが「『カラバフはアゼルバイジャン」とカメラに向かって 言って下さい」。 中立だから言えないと断ったら、 キャスターは残念そうな表情をした。 インタビューはた ぶん没になっただろう。

領土の統一を願う人々の気持ちは、わからないでもない。 気になるのは、みんながみんな、言うことが 同じであることだ。 「私たちが願うのは平和」 「領土は我々のもの」「アゼルバイジャン国民となったアルメ ニア人とは共存できる」。 まるでマニュアルがあるかのように一致し、しばしば が言う通 り」とのただし書きがつく。 アルメニア側で、強硬派や妥協がわいわい議論を繰り広げるのとは対照的 だ。 アゼルバイジャンで国民世論がまとまっていると言えないこともないが、自由に意見を言える環境が 整っていないからのようにも見える。

古い街並みと超現代建築が融合したバクーの街は、活気にあふれ、治安がよく、小ぎれいだ。 人々は 穏やかで愛想がよく、居心地の良さから、ビジネスの拠点としても注目されている。 一方で、 アゼルバイジャンは一般的に強権国家と位置づけられ、市民団体「国境なき記者団」の22年度報道の自由度ラン キングで同国は180カ国・地域のうち154位。 これは、 153位ベラルーシと155位ロシアの間にあたり、 51位 のアルメニアとは大きな差がある(日本は71位)。

言論の多様性が確保されないままだと、 ナゴルノカラバフのアルメニア人も、アゼルバイジャンへの 統合を受け入れる気にならないのではないか。

南部コーカサスでは昔から数多くの民族が入り乱れ、移動し続けてきた。 「昔からの領土」 「昔からここ に暮らす人々」と今簡単に口にしても、その昔とはいつなのか、人によって解釈が異なる。 ソ連時代に は、イランのアゼルバイジャン人居住地域を侵略してアゼルバイジャン領とする代わりに、 ナゴルノ・カラ パフはアルメニアに移管する、との計画が浮上したこともある。 国家と民族のアイデンティティーは、この 地方で以前からあいまいなのだ。

そのような土地柄では、多様性を受け入れる政策が欠かせない。 もちろん、今回のアゼルバイジャン 取材で筆者が会ったのは公的な立場の人が多く、教条的な原則を掲げざるを得なかった面はあるだろ アゼルバイジャンが実際には、柔軟な姿勢でアルメニアと向き合い、妥協をいとわず、現実的な解決 策を探るよう望みたい。 さもないと、 再び紛争となり、 両国とも多くの人の血が流れるだろう。

今回の取材は、アゼルバイジャン政府に出した要請が認められて実現した。 ナゴルノカラバフとその 周辺の奪還地域での取材は、フランスのラジオ記者とともに行動するツアーで、行程の大部分に政府間 係者が同行した。 明確な取材規制はなかったが、時間の制約もあり、取材対象は限られた。 以外の村や首都バクーでの取材に制約はなかった。 (パク国末憲人 )

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