今も恐怖、解放直後は不眠に ロシア軍9日間拘束の教師―ウクライナ首都近郊

東京, 2月25日, /AJMEDIA/

侵攻したロシア軍によって昨年、一時占拠されたウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊ブチャ。避難途中にロシア軍に見つかり、ブチャに隣接するイルピンで9日間拘束されたブチャの体育教師イリーナ・パシチュニクさん(56)は拘束場所の近くを通ると「今でも恐怖を覚える」。解放直後は不眠にも悩まされた。
 ◇避難先近くに戦車
 ロシア軍が侵攻を開始した昨年2月24日、ブチャから約5キロ離れた知人のコテージに、夫らと3人で避難した。その3日後、近くをロシア軍車両と部隊が通過した。この直後、爆発音が聞こえ、電気やインターネットが途絶えた。以降、外部からの情報が一切入らなくなった。3月5日にはロシア軍の部隊や車両が2時間以上付近を通過。さらに戦車がコテージ付近に停車したため、コテージから逃げることを決めた。ただ、地雷が埋められた森を抜けた先でロシア軍の部隊に出くわした。諦めて「両手を上げた」。
 銃を撃った硝煙反応や、塹壕(ざんごう)を掘った形跡が手にないかや、持ち物を調べられた後、半地下の部屋に入れられた。最初の2日間は水も食料も与えられなかった。後に2人の男性が新たに加わった。一方、ウクライナ軍との関連があるとされた別の6人は殺害され、「遺体は埋葬されず、脇に放置されていた」。ロシア兵の中にはパシチュニクさんらの殺害を望む者もいたが、上官が手を出さないよう指示したという。繰り返し脅されたが、身体的な危害は加えられなかった。
 3月13日、ロシア軍に協力していたウクライナ人が、ロシア軍が避難を許可したと伝えてきた。この協力者の案内で避難用の車に乗った。周辺で別に拘束されていた市民が集められ、15台ほどの車列になった。最初のロシアの検問所は避難していたコテージ付近にあり、「とどまっていたら死んでいただろう」と振り返る。八つほどの検問所を抜け、キーウ州の南に隣接するチェルカシ州の大学で解放された。ロシア軍協力者のウクライナ人は消えていた。
 ◇話すことでつらさ軽減
 勤務先のブチャの学校はロシア軍の拠点になっていた。ロシア軍撤収後は、ロシア兵が酒を飲んだり、たばこを吸ったりした痕跡があり、ごみも散乱していた。現在は破壊されたドアなどは修復され、授業も再開。ただ、占領下のブチャにいた子供の中には今も登校を恐れ、オンラインで授業を受ける子供がいるという。
 パシチュニクさんも解放後3~4カ月は1~2時間しか眠れなかった。拘束されていた場所には今でも入れない。「一度地下の様子を見に行こうとした。ドアを開けたが、中に入れなくてドアを閉めた」という。ただ、「当時のことを話すのはつらいが、話すと重荷から解放されたような感じがした」とも話す。23日に勤務先の学校で取材に応じたパシチュニクさんの表情は落ち着いていた。

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