現実とバーチャルが交差する–メタバースで美術館を開催して感じた芸術の新しい楽しみ方

東京, 9月24日, /AJMEDIA/

 多くの日本人にとって、芸術や美術館という存在は、生活からは少し離れた世界という印象だろう。有名な作家や有名な作品、あるいはSNS映えしそうなデジタルアートなどであれば、見に行きたいという人も多いが、一般的には休日にわざわざ知らない人の展示会や美術展などに足を運ぶ人は少ない。一方でアーティストにとっても、個展を開く際に画廊にかかる費用や、作品の輸送費などで生活が圧迫され、なかなか作品制作に集中できないという状況も珍しくない。

 そういったなかで、メタバース上で行われる展示会などにも注目が集まっている。筆者である齊藤自身もメタバース上での美術展示会の開催や開発を行ってきた。そこで今回は、経験者として、メタバースによってどのように芸術や展示会に影響するかについて見ていきたい。

メタバースで変わるキュレーションの形
 「キュレーション」という言葉は、最近ではいろいろな場面で使われる。 画家の作品の中から、展示会に出品するものを選ぶときにも使われれば、コンセプトストアで売る商品を選ぶこともキュレーションと言うこともある。その場合、意味の幅が広くなりすぎてかえってわかりにくくなり、混乱を招くという問題が起こりうる。

 現代社会で、キュレーションという言葉の応用範囲が広がってしまうことは仕方がないことかもしれない。なぜなら昔に比べて、現代は大量の情報に溢れているからである。見るべき画像や取り入れるべき知識もとてつもなく多いのだ。21世紀の生活には、大量の情報のうちどれがより重要なのかを判断して提示する仕事が不可欠となる。情報の数を減らし、十分対応できるようにする、それもキュレーターの役目である。

 かつてキュレーターといえば、博物館や美術館などの場所に入れる物を選ぶ人のことを指していた。しかし、現代のキュレーターの仕事はそれにとどまらない。複数の異なった文化の接触を促すこと、物事の新しい見せ方を考えること、物事の意外な組み合わせを考え、それまでにない何かを生み出すこと。これら全てが今後のキュレーターの仕事になるのではないかと筆者は思う。

 グローバリゼーションがある程度の段階まで進むと、世界が均質化してしまう危険があると同時に、それに対抗するような動きも起きる可能性がある。人々が自分たちの文化の中に引きこもって外の世界を見ようとしなくなるという感じだ。

 また、展示はひとつの場所で実施するだけでなく、同じ展示を世界中で実施する必要性も高くなってくる。そうなると、展示物を箱に詰め、ある街から別の街まで運び、また箱を開けて展示物を並べる……、その繰り返しになってしまいがちだ。これは、グローバリゼーションによる均質化とも言えそうだが、メタバースで行う展示会では場所に応じた展示ができるという点で、表現においてもコスト面においても、メリットは多い。また、上記したように、複数の異なった文化の接触を促すことや、物事の新しい見せ方を生み出すという点においても、自由に世界を構築できるメタバースでは効果を発揮する。その土地の環境や作品の背景をよく知り、それに合わせた展示をメタバース空間内で容易に変化させるのである。

 美術の展示会は、しばしば異文化交流としても活用される。ある国や土地の文化を知ってもらうために、他国の人に作品を見てもらうことで、異文化の人々は、歴史や背景、芸術的観点などに触れることができる。

 実際に筆者も画家である植村友哉さんとVRChatでVR美術館と個展の開催をこれまで行ってきた。植村友哉さんはオセアニアにあるパラオ共和国との関係が深く、パラオをテーマとした絵を描くことを得意としている。そのため、パラオの風景画や彼のパラオに対する思いの詰まった作品を、メタバース上でパラオっぽい空間に展示することで、より広い表現と没入感を生み出している。また、その空間には、パラオ人作家の作品も展示しているため、日本にいながらパラオの作品も楽しむことができるのだ。

 メタバースで展示空間を作るメリットとしては、もちろんリアルギャラリーへ出展する高い費用を少し抑えられるという点もあるが、作品に合わせて展示空間をデザインすることができるということが大きい。

 パラオは綺麗な海に囲まれた美しい国で、植村友哉さんの作品もパラオの風光明媚さを実にうまく表現されているので、型の決まった展示空間よりも、海外の空間や海の中などに展示することで、より楽しみ方が広がる。また、現在筆者が観察している限りでは、訪問者全体の2割程度は海外の方なので、異なった文化の接触を促すことにも成功していると言える。既存の美術館の見せ方から離れ、新しい物事の見せ方を通じ、それまでにない新しい体験というものを提供できるのも、メタバースの展示会ならではなのではないだろうか。

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