閉め切り26年で司法決着 潮受け堤防、割れた判断―協議は平行線・諫早干拓事業

東京, 3月3日, /AJMEDIA/

国営諫早湾干拓事業で、鋼板が次々と海に落下するさまから「ギロチン」に例えられた1997年の潮受け堤防閉め切りから約26年。「開門」と「非開門」に相反していた司法判断が決着した。この間、漁業被害を訴え開門を求める漁業者側と、反対する営農者、国側の主張は鋭く対立し、和解協議は平行線をたどった。
事業を巡っては、民主党政権下の2010年、漁業者側の主張を認めて開門を命じた福岡高裁判決が確定した一方、13年に長崎地裁が営農者側の訴え通り、開門禁止を命じる仮処分を決定した。国は相反する司法判断の板挟み状態に置かれ、開門は見送られた。
 佐賀地裁は14年、開門しなければ漁業者側に1日当たり49万円の制裁金を支払うよう命令。長崎地裁も同年、開門した場合は営農者側に1日49万円を支払うよう命じた。国は開門しても、しなくても制裁金を支払わなければならなくなった。漁業者側への制裁金はその後90万円に増額され、支払総額は18年までで12億円余りに上った。
 司法は和解を促す試みを何度も行ったが、そのたびに頓挫。営農者側が起こした訴訟で16年、長崎地裁は国が開門に代わる漁業環境改善の措置を取るべきだと勧告し、訴訟当事者の国と営農者、補助参加した漁業者の3者協議が始まった。国は100億円の基金創設を提案したが、開門の是非を巡る溝は埋まらず、17年に協議が打ち切られた。
 今回の一連の訴訟でも、二審福岡高裁は「開門せず、国の基金で解決を図る」と和解勧告したが、漁業者側が反発し、18年に協議が決裂した。差し戻し審でも高裁は「話し合いによる解決以外に方法はない」と提案したが、国は「開門の余地を残した協議の席には着けない」と拒否し、進展がないまま昨年の判決に至った。

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