荒野の果てに、いきなり最先端電力の村 変わり始めた国家間バランス-Part 2

東京, 2月17日, /AJMEDIA/

現在、住民の9割は、ここで店に勤めたり農業に携わったりと、何らかの職に就いている。 30人雇用の 繊維工場も設けられ、 医療用マスクなどを生産しているという。 「手に職を持つ人がいれば、その技術に 合わせた施設を政府が用意します。 すでに、美容院やパン屋など、 11の業種がこうして開業しました」と クルバノフさん。政府の力の入れようがうかがえる。 初の帰還者村だけに、政府にとっても失敗は許され ないのだろう。

クルバノフさんの紹介で、 セイファリ・ファルハドフさん(70)と妻のイスマイロバ・サヤラさん(72)の家庭を訪ねた。
アガリ村は、たばこ栽培と養蚕、 牧畜が盛んな農村だったという。 2人はこの村に生まれ、 この村で結婚した。

村には、アルメニア人も商売のためしばしば訪れていた。 「彼らに対して憎しみなど一度も抱いたこと がありません。いつか戦争になるなんて思いもしませんでした」とサラヤさんは言う。「自動車学校で知り 合ったアルメニア人と仲良くなって、彼が釣りに行くときに釣り針を貸したりしていたなあ」とファルハドフ さん。

第1次ナゴルノカラバフ紛争の1993年、 アルメニア軍が迫った。 2人は、5人の子どもとともにアラス川 を越えて対岸のイランに逃げた。 自宅からは、シーツと枕を持って出るのが精いっぱいだったという。 首 都バクーにたどり着き、 国内避難民用住宅での慣れない暮らしを強いられた。 「早く村に帰りたかった。 でも、年月が経つにつれて、(本当に帰れるのかと疑問を抱くようになっていた」とサラヤさん。 それだけ に、 第2次紛争での勝利を喜び、 22年9月に村に戻ってきた。

「家を再建する資力もなかったから、 政府がこの家を用意してくれて、本当に助かった。 アリエフ大統領 そのお陰です。 トルコのエルドアン大統領の支援もありがたかった」。 以前は、現在の家から1キロほど離 れた場所に住んでいた。その家は今、 壁が少し残るだけの廃墟となっているという。

「もう戦争はこりごりだね」とサヤラさん。 アルメニア人とは今後、共存できるのか。 長男のムバリズさん (50) が答えた。 「たぶん、地元の人同士では何の問題もないんじゃないかな。 (問題なのは) アルメニア に住むアルメニア人ではなくて、国外からやってくるアルメニア人だよ」
地元のアルメニア人は悪くないが、 外部勢力が扇動する。 これは、シュシャで出会った元幼稚園 の教師ファジラ・ゼイナロバさんと同じ論理だ。 人々がそう信じるのは、かつて身近に接した隣人イメージ と戦争という現実とのギャップに戸惑うからだろう。 実際には、外部勢力のかかわりを裏付ける確たるも のは見当たらない。

路の要衝 閉鎖なら死活問題

ナゴルノカラバフとその周辺に数多くあった村の中で、なぜアガリ村が最初の復興例として選ばれたのだろうか。

「この地域が戦略的に重要だからです」とクルバノフさんは説明する。「ザンギラン県は、中国から欧州 に至る経済交易街道に面している物流の拠点です。 だから、鉄道も整備するし、 新たな空港開港した のです」

クルバノフさんが語るザンギランの重要性は、主に経済戦略画だ。ただ、ここはも注目を集める地域。無人のまま放置するわけにはいかない。
ザンギラン県の西隣はアルメニアだが、 その先にアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェバンが存在す る。人口は50万人足らずで産業にも乏しいが、 アリエフ大統領の一家ら政界の重要人物を輩出したこと で知られる土地柄だ。 ここと本土との連絡は、アゼルバイジャンにとって死活問題と受け止められてい る。

ソ連時代はアルメニア共和国内を鉄道や道路で自由に往来できたが、 独立後はアルメニアとの関係 悪化により、同国内の陸路が閉鎖された。 現在の行き来は空路かイラン経由の陸路しかない。 「ザンゲ 「ズル回廊」と呼ばれるアルメニア領内の往来再開をアゼルバイジャン側は求め続け、現在続く和平交渉 での議題にも上げている。 回廊が開通すれば、 中国や中央アジアからの物資をナヒチェバン経由でトル コに送ることができ、 この地方全体の発展につながると、 アゼルバイジャンは構想を思い描く.

バクーで会ったエルヌール・ママドフ外務事務次官 (41)は「東洋と西洋を速く安価でつなぐ物資輸送路 となり、日本も中国も利用できる。 すでに回廊に至るわが国内の道路と鉄道の6~7割は整備できた」と 述べ、アルメニア側の協力を促した。

一方、この一帯はアルメニアにとっても極めて重要だ。唯一、イランと国境を接する地方であるから だ。 アゼルバイジャンとトルコに挟まれたアルメニアにとって、 関係が良好でエネルギーの供給国でもあ るイランとの往来確保は譲れない。 アゼルバイジャンが回廊を使うようになると、イランとの往来が遮ら れる不安が生じる。

回廊を巡るアゼルバイジャンとアルメニアとのつばぜり合いは、ライバルの地域大国トルコとイランの 関係にも影響する

アルメニアとアゼルバイジャンの両国に対して影響力を維持したいロシアの存在、さらにはアゼルバイ ジャンのエネルギーやアルメニアの民主化の動向に強い関心を抱く欧州連合(EU)や米国も加わって、 様々な思惑が交差するのが、この地域だ。

主導権を握りたいアゼルバイジャンにとって、決め手となるのはトルコとの連携。 ママドフ外務事務次 官は「両国はステート (政治的な国家)としては二つだが、ネーション (国家共同体)としては一つ」と、そ この連携ぶりを誇った。 「ロシアとウクライナとの間に立って穀物輸出の合意を実現させるなど、トルコはもはや地域にとどまらないグローバルなブレーヤーだ。 アルメニアとの関係正常化においても支援をしてく れている」と期待を寄せる。 もっとも、トルコが口を挟むのをアルメニアは快く思わず、 3国間でなくそれぞ れの二国間関係で問題を解決すべきだとの立場を取っている.

一方、アゼルバイジャンとイランとの関係は微妙。 公式には節度を保っているものの、 ママドフ次官は 「国やメディアがアゼルバイジャンを非難したり脅したりするプロパガンダをやめるよう求める。 国境近く で軍事演習をするのも、敵意を与えるメッセージだ」とイランを批判した。

国家間のバランスを変えかねないのは、ロシアの動向だろう。 ウクライナ侵攻への対応で精いっぱい のロシアは、この地方への影響力を大きく低下させている、との観測が根強い。 ママドフ次官は「そのよ うな特段の兆候は見られない」と慎重に語るものの、ロシアはアルメニアの同盟国であるだけに、 もしそ の存在感が薄まれば、アゼルバイジャンの優位が相対的に強まるかも知れない。
今回の取材は、アゼルバイジャン政府に出した要請が認められて実現した。 ナゴルノカラバフとその周辺の奪還地域での取材は、フランスのラジオ記者とともに行動するツアーで、 行程の大部分に政府関 係者が同行した。 明確な取材規制はなかったが、時間の制約もあり、取材対象は限られた。 奪還地域 以外の村や首都パクーでの取材に制約はなかった。 (アガリ村=国末憲人 )

Follow us on social

Facebook Twitter Youtube

Related Posts