ロシアが旧ソ連諸国の紛争で使う「未承認国家」とは

東京, 8月30日, /AJMEDIA/

 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の廣瀬陽子さんは、「旧ソ連」の研究者だ。20世紀末にソ連が崩壊した後にできたロシアと周辺の国家群の関係を見てきた。現在、進行中の「ロシアによるウクライナ侵攻」の背景を、より広く厚く理解することを目標にして、まずは廣瀬さんのもっともコアな研究対象である、旧ソ連の紛争や未承認国家について教えてもらおう。

「旧ソ連の国家の中で、わたしが一番の専門として見ているのはコーカサスと呼ばれる地域なんです」と廣瀬さんは切り出した。

 ちょうど「侵攻」の開始から4カ月がすぎた頃の、慶應義塾大学藤沢湘南キャンパスの研究室だった。6月だというのに最高気温が35度に近い酷暑の午後で、建物全体が熱を帯びていた。そんな中で、日本から何千キロも離れた、あまり馴染みのない地域について、話を伺っていくことになった。

「コーカサス地域とは、その名の通りコーカサス山脈の南北の地域のことで、北コーカサスはロシア連邦のチェチェン共和国や北オセチア・アラニヤ共和国などを含みます。南コーカサスは、東西をカスピ海と黒海に区切られて、南側にはトルコ、イランとの国境線があり、ここには、ソ連崩壊後に独立国となった、アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージアの3国があります」

 地図を見てみよう。近頃、わたしたちはメディアに掲載されるウクライナの地図をよく見ることが多いけれど、コーカサス地方はその「見慣れた地図」からさらに東側に視線を移したところにある。東西をカスピ海と黒海に挟まれ、中央部分にはコーカサス山脈があって、その南北に広がる地域をコーカサス地方と呼んでいる。なお、「コーカサス」は英語読みで、ロシア語では「カフカス」だ。ナショジオでは「カフカス」を使っているが、今回は、ロシア領内ではない南コーカサスの話が中心となるため、「コーカサス」と呼ぶ。

 さて、南コーカサスには、コーカサス3国、アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージアがある。これらの国々は、それぞれ国内に未承認国家を抱えていたり(アゼルバイジャン、ジョージア)、密接な関係にある未承認国家を隣接国に持ったり(アルメニア)している未承認国家問題の当事者国だ。ということは、紛争の当事者国でもある。一方、北コーカサスは、ロシア連邦内だが、チェチェン紛争の舞台となってきたチェチェン共和国など「紛争」と密接に関連した名が見える。

「わたしは、アゼルバイジャンに留学して、旧ソ連の小国からロシアの外交政策を検討する研究をしてきました。その中で、主権国家であると宣言しながらも国際的に承認されていない『未承認国家』が、ロシアにとっての『近い外国』、つまり、旧ソ連諸国を勢力圏に留めるために利用されていることを見てきたんです」

 それでは、さきほどの地図に未承認国家の「仮」の国境を含めて描き込むとどうなるだろう。

 アゼルバイジャン共和国国内には、「ナゴルノ・カラバフ共和国」(未承認国家であることを括弧で表現。以下同様)があり、アルメニア人が実効支配している。「ナゴルノ・カラバフ共和国」に対して、アゼルバイジャン共和国は「法的親国」(国際法上、領土である)という立場で、一方、アルメニア共和国が「パトロン国家」として支援する立場だ。

 ジョージア共和国はさらに複雑な状況にあって、2つの「未承認国家」を国境線の内側に抱える。まず、黒海沿いにはアブハズ人による「アブハジア共和国」があり、ロシアの支援を受けている。また、ロシア連邦の北オセチア・アラニヤ共和国と接する形で、やはりロシアをパトロン国家とする「南オセチア共和国」があり、コーカサス山脈に分断された同胞の国・ロシア領内の北オセチアとの統合、ひいてはロシアへの併合を求める紛争が続いている。

 コーカサス地方は、有史以前より様々な民族が居住して、その時々に紛争を経験してきた要衝であり(廣瀬さんの言葉では「国際関係の十字路」)、20世紀末から21世紀にかけても名だたる紛争、戦争の場となってきた。だから、わたしたちは、日本からは意識の上で遠いにも拘らず、近年の紛争の舞台になった地名だけは、耳にしたことがある場合が多い。この地域に未承認国家が乱立するのは、多民族が混在しまさにそれだけ紛争の火種が多いことの反映でもある。

 特にソ連の求心力が薄れて崩壊していく中で、大国のイデオロギーによる一体感を失ったソ連の周辺域では、それに代わる社会的アイデンティティを担うものとして民族主義が勃興した。ソ連崩壊後の国家ができた後にも、その国境線の区切りに齟齬を感じる少数民族がそれぞれの主権を求めたことから、未承認国家も乱立することとなった。国際的に承認された国境と、その地域に住んでいる民族集団の境界は必ずしも一致しない。そこで、民族主義的な分離運動が起きるわけだが、その際、国際社会のルールである「領土保全」と「民族自決」が、正面からぶつかり合うことになる。未承認国家は、そういう国際秩序の間隙をついた存在ともいえる。

 さらに、もう少し地図を広く見ると、今回、2022年のロシアによるウクライナ侵攻について直接かかわる未承認国家も比較的近くにあることがわかる。

 2014年に主権を宣言したウクライナ東部にある、「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」を、2022年2月、「侵攻」の直前にロシアが国家承認したことは、すでに触れた。クリミア半島にも、親ロシア派の未承認国家がほんの数日だけ存在したことも前述の通りだ。

 さらにウクライナの西のモルドバとの国境地帯(モルドバ領側)には、「沿ドニエストル・モルドバ共和国」がある。ドニエストル川沿いの細長い地域を実効支配しており、ロシアがパトロン国家となっている。現在「ソ連の名残を最も残した」未承認国家だそうで、「国旗」にはソ連国旗に由来する「鎌と槌」が使われている。

 また、旧ソ連ではないものの、未承認国家の歴史において、廣瀬さんが「パンドラの箱を開けた」(後の回で触れる)とも表現する「コソボ共和国」も重要だ。旧ユーゴスラビア連邦解体でできたセルビア共和国の領土内にあり、隣のアルバニア共和国や欧米各国をパトロンとしている。日本も含めて国家承認している国は多い。近年、セルビアの積極外交により承認を取り消す国も出てきているものの、それでも、今、「最も国際的な承認に近い」未承認国家であると言われる。

 他にも、歴史上、あるいは現在も、世界には様々な未承認国家があるが、今回は、2022年のロシアによるウクライナ侵攻について、ある一面を理解するために必要なものとしてこの程度に留める。

 それでも、日本とかかわりの深い「その他」の未承認国家を挙げるなら、まず歴史的には、日本がパトロン国家となって成立させようとした「満州国」があることを指摘しておきたい。また、「台湾」も、自律性、独立性が高いために「国」であるように感じられることも多いものの、やはり「未承認国家」だ。さらに、国際関係の議論で、常に焦点となる「パレスチナ」も同様だ。

 さて、廣瀬さんが語る未承認国家の物語は、コーカサス地方のアゼルバイジャン共和国から始まる。アゼルバイジャンは、未承認国家「ナゴルノ・カラバフ共和国」(ナゴルノは「山岳の」、カラバフは「黒い庭」(土地の肥沃さに由来)を意味するという)を領土内に抱えており、廣瀬さんが博士課程の時代に研究の拠点に選んだ場所だった。

「大学院生の頃に、旧ソ連研究を志す中で、紛争とか未承認国家などが、ロシアに体よく利用されている構造に関心があったので、やっぱり現地に行くしかないと思ったんです。そこで、テーマに選んだのは、わたしが一番変な戦争だと思っていた『ナゴルノ・カラバフ紛争』でした」

 では、ナゴルノ・カラバフ紛争とは、どのようなものなのだろうか。

「『ナゴルノ・カラバフ共和国』は、アゼルバイジャンの中でも、アルメニア人が多い地域で、自治州として自治が認められていました。しかし、その所属をめぐってかねてからあった確執がソ連末期に表面化しました。最初はアルメニア側も平和的に抗議行動をしていたんですが、だんだんエスカレートして、互いに民族浄化をし合うまでになってしまいました。もうドロドロになってきた時にソ連が解体して、ロシアはアルメニア側に立って参戦しました。それで、アゼルバイジャンは完膚なきまでにやられてしまうんです。停戦になった時の状況では、ナゴルノ・カラバフ地方全部とその周辺のかなり広い緩衝地帯をアルメニア系住民が実効支配するということで固まりました。それがアゼルバイジャンの国土の大体20%ぐらいにあたります」

 ソ連が崩壊して、アゼルバイジャン共和国が国として独立した矢先に、ロシアの介入もあって、国土の20%にあたる地域を未承認国家として実効支配されている、というのが、廣瀬さんが留学先を探していた2000年頃のアゼルバイジャンの状況だった。1994年の停戦の際には、旧ソ連の国家で作る独立国家共同体(CIS)やCIS集団安全保障機構への参加といったロシアからの要求を飲まざるをえない(後に脱退)状況に追い込まれるなど、国内に存在する未承認国家を梃子として使われる形で、ロシアからの影響を甘受してきた。

 廣瀬さんは、2000年から01年にかけて、国連大学秋野記念フェローとして、アセルバイジャンの首都バクーに拠点を持って、公文書、外交文書の類を読み込み、アルメニアやジョージアにも出かけて、様々な人々にインタビューを重ねることで、未承認国家を絡めたロシアの外交戦略について理解を深めていくのだった。

Follow us on social

Facebook Twitter Youtube

Related Posts