NATOとロシアの対立を深めたコソボという「パンドラの箱」

東京, 9月2日, /AJMEDIA/

 さて、「旧ソ連」地域の未承認国家をめぐる紛争について、ここまで見てきた「ナゴルノ・カラバフ共和国」以外についても、大雑把に見ておこう。南コーカサス(カフカス)の隣国ジョージア国内には2つの未承認国家「アブハジア共和国」と「南オセチア共和国」がある。

 ジョージアは、アゼルバイジャンのようなエネルギー資源を持たず、経済基盤も弱いため、未承認国家を使ったロシアの統制をさらに受けやすい状態にあったものの、2008年8月、大きく事態が動いた。

「当時、わたしは北海道大学のスラブ・ユーラシア研究センターの共同研究員もやっていたのですが、札幌から東京へ飛行機で帰ってきたところ、携帯電話にたくさんの着信が入っているのに気づきました。なにかと思ったら、ジョージアとロシアの間で戦闘が始まったことに関する問い合わせの電話でした。あの戦争を今から振り返ると、より悪いのはロシアということになりますが、実はジョージアにも問題がありました。間違いなく言えることは、双方が戦争を意識して準備をしていたということです」

 ジョージア国内にある未承認国家「南オセチア共和国」に対して、ジョージア軍は、「南オセチアからの挑発が続き、ジョージアの最後通牒にも応じなかった」として、攻撃を開始した。つまりジョージアが先制攻撃をしたことになる。一方で、ロシア側も南オセチアの「自国民保護」を名目に参戦した。それは、国際的に認められる国境でいえばジョージア領内での戦闘ということになるが、ロシアにはロシアなりの「理由」があった。

「ロシアは南オセチア住民にロシアパスポートを配布していて、当時、約9割の住民がロシアパスポートを保有していたと言われています。となると、ロシア人からすれば、当地住民は『ロシア人』、つまり自国民ということになります。こうしてロシアは参戦を正当化しました。紛争が起きた8月よりかなり前、双方とも4月ぐらいには完全に意識していたと考えています。4月の時点で、ロシアがジョージアを攻撃するために作成していたという攻撃リストのようなものが後で出てきたのですが、実際に展開された戦闘とほぼ同じなんですよね。一方で、ジョージアもかなりやる気だったと思います。当時のサーカシビリ大統領は、実効支配できていない『アブハジア』と『南オセチア』を取り戻すのが大きな目標だったわけです。実際に『アジャリア自治共和国』という、ジョージア国内でやはり主権が及んでいなかった地域については2004年に取り戻せたので、それに倣って他の2つの領域も取り戻したかったのです」

 アジャリア自治共和国から親ロ的指導者を追放して、奪還できたことは、国土の分裂の回復を公約として当選したサーカシビリ大統領にとって大きな功績となった。この成功体験から、さらに一歩を踏み出したのが、2008年の動きだ。

「多分サーカシビリ大統領は、ジョージアが戦えば絶対にアメリカがサポートしてくれると信じていたんですね。当時のアメリカのブッシュ大統領も確約はしてなくても、支持を匂わすようなことを言ったんじゃないかと思うんです。戦争勃発直前に、アフガニスタンでのNATO軍の活動を支援するために入っていたジョージア軍を米軍機がジョージアに連れて帰ったりもしていましたし、戦争開始についてもおそらく知らされていたはずです。それですっかりジョージアはやる気になって先制攻撃をしかけて、玉砕しました。そして、結論としては、ジョージアの領内にある『アブハジア』と『南オセチア』をロシアが国家承認して、ジョージアは不本意な停戦を受け入れざるを得なくなって今に至っていると言えます。その後、ロシアは2つの未承認国家を順調にロシア化してきたので、今はほとんどロシア領といっていいような状況になっています」

 ここで疑問が生じる。

 未承認国家は、「未承認」で有り続ける方が、ロシアとしては、都合がよいはずだ。ひとたび国家承認してしまえば、ロシアにとっては「アブハジア」「南オセチア」も主権国家になり、「ジョージアの国内」ではなくなるから、ジョージアへの揺さぶりもかけにくくなってしまう。また、ロシア国内で少数民族が分離主義的な意向を持っている場合も多いわけで、「アブバジア」や「南オセチア」を国として認めることは、そういった地域を刺激することにもつながりかねない。

「それについては、実は、東欧のコソボ問題、もっと言うと1999年のユーゴスラビア空爆あたりからの経緯を考える必要があります。NATOによるユーゴ空爆は、国連安保理決議もなければ、ロシアへの相談もなく、西側の一方的な決定によって行われたものなので、ロシアはその展開にかなり激怒しました。捏造の理由によって強行された、とまで批判しています。あのあたりから反欧米機運が高まってきたと思っています」

 旧・ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、冷戦終結後に民族主義的な分離独立運動が盛んになり、激しい内戦を経験した。マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニアといった構成共和国が独立して、残されたセルビアとモンテネグロは、ユーゴスラビア連邦共和国を名乗った(さらに2003年にセルビア・モンテネグロに改組・改称し、2006年にはモンテネグロが独立して、旧「連邦」は完全に解体した)。

 1999年のユーゴ空爆は、ユーゴスラビア連邦内のセルビア共和国にあった、未承認国家「コソボ」(独立宣言は1991年)に関係している。NATOは、武力衝突が激化する中で、「コソボ」の大半を占めるアルバニア人の人権擁護という理由で、空爆に踏み切る。これはNATO域外への介入であり、また、国連安全保障理事会の決議も経ていなかったため、大きな議論を巻き起こした。また、ロシアにしてみれば、自らの「頭越し」に、東欧で「好き勝手」をやられたと受け止められる要素が多かった。

「その後、欧米各国は、ユーゴスラビア連邦が解体した後も、『コソボ』にいろいろ介入して、2008年にはコソボ共和国を国家承認してしまうんです。本来、ユーゴスラビアを含む、冷戦時代の連邦、つまり、ソ連、ユーゴスラビア、チェコ・スロバキアが解体したときには、連邦を構成していた共和国の国境線をそのまま国境と見做す『ウティ・ポッシデティス』を採用することとなっており、ロシアも欧米も応諾したはずだったんです。それなのに『コソボ』の独立を承認したということは、その約束を無視したことになります。ロシアにしてみれば、同じ図式を、例えば北コーカサス地方のチェチェン共和国に当てはめられてしまうと、自国の領域が揺らぐので、やはり許しがたいんです。そのため、2008年8月にジョージアで戦争をして、その後『アブハジア』と『南オセチア』を国家承認したのは、コソボ承認への意趣返しだったのだろうと思っています」

 ウティ・ポッシデティスとは、元はと言えば、植民地が主権国家として独立する際に旧植民地の行政区画を国境とする原則を指す。ソ連、ユーゴスラビア、チェコ・スロバキアの連邦解体時にも、この原則を採用し、連邦内の共和国の国境線を、そのまま主権国家としての国境線とすることになった。とすると、セルビア共和国の自治州だったコソボには、その資格はないことになる。一方、ロシアのチェチェン共和国は、名前こそ「共和国」だが、ソ連時代には、連邦構成共和国よりも弱い立場の「自治共和国」の一部だったので、ソ連解体後もロシアの中に留め置かれていた。だから、「コソボを認めるなら、チェチェンも」ということになりかねず、ロシアとしてはとてもデリケートな問題だったのである。

「なお、ロシア・ジョージア戦争には、もう一つのロシアの目的があったと思います。4月にジョージアとウクライナに、NATOの加盟行動計画(MAP)を適用しようという提案をアメリカがしたことです。旧ソ連諸国のNATO加盟を阻止したいロシアは反発し、ドイツ、フランスがロシアの意を汲む形でジョージアとウクライナへのMAP適用問題は同年12月に再び議論されることになったのですが、その前にロシアはジョージアで戦争を行い、NATO加盟の議論の進展を阻止したと考えられます。実際、その戦争を機にその議論は事実上立ち消えになりました」

 また、二つの未承認国家の国家承認について、2001年の同時多発テロの後、国際社会が「反テロ」を掲げたことが、ロシアにとってハードルを低くしたことも廣瀬さんは指摘した。例えば、ロシアにとって国内の分離運動として気にしなければならないチェチェン紛争について、民族の分離独立を要求する勢力との戦いではなく、「テロリストとの戦い」と主張できるようになった。それゆえに、「アブハジア共和国」や「南オセチア共和国」を国家承認することとの矛盾を避けることができたという見立てだ。

 ただ、当時は「意趣返し」の面が強かったと分析されたロシアによる「アブハジア共和国」と「南オセチア共和国」の国家承認だが、今からすると、この時点で、ロシアは未承認国家とその国家承認の考え方を変化させつつあったのかもしれない、とも言える。

 2014年にはクリミア半島が一時的に主権宣言して独立した体で(ロシアも国家承認し)、住民投票を行わせ、その結果を受けてロシアに併合した。2022年2月のウクライナ侵攻直前には、ウクライナ東部の未承認国家「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」を国家承認した上で、形式上、要請を受けて侵攻を始めたことも、その流れの中にある。

 それでは、今後、ロシアは、例えば、ウクライナ侵攻の中で、新たな未承認国家を梃子にしたアクションを起こすことはありうるのだろうか。

「ロシアは2022年、9月上旬にドネツク、ルハンシク(ルガンスク)のみならず、ウクライナの南部2州、すなわちヘルソン州とザポリージャ州でも住民投票を行おうとしています。そうなれば、クリミアのように独立、彼らの意志によるロシアへの併合要求、併合、という流れが生まれる可能性が高いです(ただし、記事を公開した8月末段階で、実施はほぼ不可能という評価が圧倒的である)」と廣瀬さんは、考えている。

©National Geographic Society

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