日本にあふれる「無意味な労働」、生産性が低いのはこれのせいだ

東京, 11月22日, /AJMEDIA/

 岸田文雄氏が念願の首相に就任した。岸田氏は、自民党総裁選で、新自由主義から決別し、新しい日本型資本主義を築くと公約した。これは従来の金融緩和、財政政策、成長戦略を堅持しつつも、経済政策アベノミクスから「成長と分配の好循環」へ修正を目指すことだと思われる。岸田氏は、「成長なくして分配なし」ではあるものの、「分配なくして次の成長なし」であると言う。これは、新自由主義経済は「富める者と富まざる者との分断」を生みだしたとの反省に立つ考えだ。(文 作家・江上 剛)
 ◆1人世帯の半数は貧困
 実際、日本の格差の現状は最悪である。世界3位の経済大国でありながら、2015年データでは貧困率15.6%である。
 7人に1人が貧困である。1人世帯の貧困率50.8%で半数が貧困。男性単身世帯の貧困率36.4%、女性単身世帯の貧困率はなんと56.2%である。
 日本国民の可処分所得は、この20年間ほど低下し続け、15年では245万円である。経済協力開発機構(OECD)41カ国中8番目に所得格差が大きいという状況に陥った。
 日本の貧困は、絶対的貧困(1日1.90ドル以下で生存が脅かされる生活水準)ではなく、相対的貧困(世帯の所得が、当該国の所得中央値以下)である。
 絶対的貧困は、当然のことながら、生きることに必死にならざるを得ないが、相対的貧困は「見えざる貧困」であり、周囲は豊かで幸せそうなのに、どうして自分だけが貧しいのかと、精神的にも追い詰められ、苦しむことになる。
 岸田氏は、30年ぶりに宏池会出身の首相ということで、同じく宏池会の池田勇人首相が1960年に打ち出した「所得倍増計画」の夢の再来を構想しているのかもしれない。
 ところで企業は、今日までずっと生産性を引き上げることに注力してきた。生産性向上=成長であり、その結果の果実を労働者に分配する「トリクルダウン」を目指してきた。まさに「成長なくして分配なし」である。
 労働生産性は分母に「労働投入量(労働者数×労働時間)」、分子に「GDP(国内総生産)」で計算される。GDPが増加するか、労働投入量が減少すれば、労働生産性はアップする。
 GDPを増加させるには、イノベーションが活発化したり、経済政策が成功したりしないとなかなか難しい。
 そうなると、個々の企業とすれば、労働投入量を減少させる方が手っ取り早い。そのため、人員や労働時間、残業時間をカットし、工場のロボット化などにより、人員削減が図られることになる。
 ◆くだらない書類作り
 日本の労働生産性は低いと言われる。日本生産性本部によると、日本の労働生産性は19年度、主要7カ国(G7)で最低だった。
 日本は47.9ドルだが、米国は77ドル。6割にとどまっている。統計をさかのぼれる1970年以降、日本はG7最下位が続いている。
 本当だろうか。どうも私の実感に合わない。日本は中小企業が多いことが、労働生産性の低さの原因だと言われるが、世界に冠たるモノづくり国家を標榜(ひょうぼう)していたにもかかわらず、ずっと労働生産性が低いと言われ続けるのは納得がいかない。
 これは、ホワイトカラーの生産性が低いからではないのか。ホワイトカラー、すなわちオフィスワーカーの生産性が低いのだと思う。
 私は、銀行に勤務していたが、本部勤務の際、くだらない書類作りに追われていたのを覚えている。役員が書類を読みやすいように、主要な指標を黒いサインペンで囲むのだが、そのインクがにじみ、せっかく作成した書類を破棄した思い出がある。
 書類をまとめるホチキスの止め方にも注意を払ったものだ。斜めに止めるか、縦に止めるか、役員ごとに好みがあるからだ。バカバカしいと思いながらも、真夜中まで残業して書類作成に励んでいた。
 営業活動でも、やたらと無駄な電話をし、見込み客を見つけ、その家(会社)に何度も訪問する。名刺100枚置いて初めて商談にかかることができると教えられたものだ。
 顧客データの分析などそっちのけでひたすら体力勝負、ひたすら訪問回数を上げることのみを頑張っていた。
 こんなことをしていて労働生産性が上がるわけがない。工場勤務の人に申し訳ない。
 ◆なぜ賃金は上がらない?
 興味深いデータがある。日本も同様だが、労働生産性が上がっても、労働者の賃金は上がっていないのだ。
 ではなんのため、誰のために労働生産性を上げようとしているのか。
 それは一握りの経営トップ、株主などのためである。
 「1970年代に、生産性の上昇と報酬の上昇は分岐していく。つまり、報酬はおおよそ平行線をたどっているのに対し、生産性は飛躍的に上昇しているのである」(「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」)と、著者のデヴィット・グレーバーは指摘し、生産性上昇から得られた利益は、1%の最富裕層、すなわち投資家、企業幹部に流れたという。
 そしてグレーバーがもう一つ、興味深い指摘をするのが「生産性上昇による利益のかなりの部分がまた、まったく新しい基本的に無意味な専門的管理者の地位、(中略)ーーたいてい同じく無意味な事務職員の一群がともなっているーーをつくりだすために投入されているのである」(同書)ということだ。
 すなわち工場で労働生産性を引き上げても、私が銀行の本部で働いていたような無意味な作業に、その利益が投入され、私は、そのお陰で高給(?)を食(は)んでいたのだ。
 グレーバーは、私たちの労働現場には無意味、無駄な労働(ブルシット・ジョブ)があふれているという。
 ブルシットとは牛のふんの意味だ。牛のふんを乾かして燃料にする国もあるから、あながち全く役に立たないとは言えないのだが、そんな余計なことはさておき、確かにブルシット・ジョブが多い。
 これがホワイトカラーの生産性を下げ、全体の労働生産性をも下げているのだろう。
 そのためだろうか、米国のギャラップ社によると、日本の会社員はたった6%しか仕事に熱意を持っていない(2017年発表)という驚きのデータを公表した。
 米国は31%だから、その差は大きい。同社が調査した139カ国中、132位と最下位に近い。日本の会社員は、毎日、「面白くないなぁ」「つまらないなぁ」と思いつつ、仕事をしているふりをしているということだろうか。
 ◆ブルシット・ジョブとは
 グレーバーはブルシット・ジョブは五つに分類できるという。
 (1)誰かを偉そうに見せるための取り巻き(受付係、ドアマンなど)
 (2)雇用主のために他人を脅迫したり欺いたりする脅し屋(ロビイスト、顧問弁護士など)
 (3)誰かの欠陥を取り繕う尻ぬぐい(バグだらけのコードを修復するプログラマーなど)
 (4)誰も真剣に読まないドキュメントを延々と作る書類穴埋め人(パワーポイントを量産するコンサルタントなど)
 (5)人に仕事を割り振るだけのタスクマスター(中間管理職など)
 異論はあるだろうが、なるほどと思うところも多い。
 さしずめ、私が銀行本部にいた時の仕事は(4)ではないだろうか。すぐに破棄されるような書類の山を必死で作っていた。
 最近、新型コロナウイルス禍でリモート勤務となり、中間管理職の人は部下の管理に悩んでいるという。グレーバーが(5)で指摘しているように、中間管理職とはなんぞや、とその存在意義が問われ始めているのだ。
 ばかばかしい話だが、リモートかつマスク着用で、新しいスタッフの顔が分からないというある中間管理職から悩みを聞かされ、嘆いていいのか、笑っていいのか、分からなくなったことがある。部下の顔の区別もつかないで、どうやって部下を育成するのだろうか。
 ◆仕事をしているふり
 いずれにしても今後、中間管理職の役割が不要、あるいは見直されていくことは間違いないだろう。
 コロナ禍が収まっても、中間管理職、あるいは役員さえも不要となれば、労働生産性が上昇するかもしれない。会社というものは成長するにつれ、実際の製造現場より、管理という名の本部機構の人員が増えてくるものだ。
 そこに働く人は、仕事をしているふりをするのがうまい。
 例えば、社長が出掛けようとエレベーターの方に歩きだすと、どこからともなくさっと現れ、エレベーターのボタンを押す人がいる(もちろん秘書室員だが)と聞いた。
 絶えず社長の行動をモニターで監視し、その動きに遅れないのを使命にしているのだ。これなどはグレーバーの指摘する(1)に該当するのだろうか。
 また、グレーバーの言う(2)の顧問弁護士の役割も怪しい。彼らは相当な高給取りであるが、本当に役に立っているのだろうか。
 第一勧銀総会屋事件の際のことだ。銀行が不正融資をしているにもかかわらず、トップが不正ではないと言う意見を聞きたいと願っていることを知った顧問弁護士は、「不正融資ではない」という内容の意見書を提出した。
 トップはそれを読み、「良かった。安心しました」と笑顔になった。
 誰が見ても不正融資なのに、トップにこびる意見書を出すのは許せないと思い、私はその弁護士を糾弾した。すると、ふてくされて顧問弁護士の座を降りてしまった。
 ことごとさように顧問弁護士はトップから意見を求められると、トップの意向に添った意見書を書くことが多い。トップに諫言(かんげん)するような顧問弁護士は見たことがない。
 問題は、グレーバーがブルシット・ジョブだと指摘しても、私たちの多くは、それを文句も言わずこなしているからだ。中には使命感を持って取り組んでいる人もいるだろう。
 ◆やたら〇〇ばかり多くなる
 岸田氏が「成長なくして分配なし」ではあるものの、「分配なくして次の成長なし」との政策を具体化していく場合、生産性の向上と賃金などによる分配がパラレルで上昇するように考えてもらいたい。
 やたらと企画ばかりが多くなり、やたらとコンサルタントばかりが多くなり、やたらと会議ばかりが多くなるようでは駄目だろう。
 岸田氏が手足のように使わねばならない官僚機構も、日本の場合、縦割りになっていて、ブルシット・ジョブだらけなのではないだろうか。
 例えば、コロナ禍での危機対応の失敗だ。欧米から見ればコロナの罹患(りかん)者は圧倒的に少ないのに、どうしてあれほどまで病床確保ができないのか。
 コロナがはやりそうだという情報を入手しても、なぜすぐにワクチン製造や経口薬製造に取り掛かれないのか。いまだに説明不足のまま、コロナ第6波の危険性が強調されるばかりだ。
 これらも官僚制度の縦割りの弊害ではないのか。個々の官僚たちは必死で役割を果たしているのだろうが、それらがブルシット・ジョブになっているのだろう。
 2050年にカーボンニュートラルを実現すると、菅義偉前首相が公約したが、世界はもっと早くそれを実現するため、国家を挙げてグリーン・リカバリー戦略を推進している。新たな産業革命とでも言うべき状況だ。
 日本が先進国であるためには、待ったなしの状況である。日本の製造現場、オフィス現場の生産性を向上させ、それらから生み出される利益を労働者に正当に分配するためにも、日本の官僚組織、会社組織からブルシット・ジョブを排除する仕組みが必要になるだろう。
 (時事通信社「金融財政ビジネス」より)
 【筆者紹介】
 江上 剛(えがみ・ごう) 早大政経学部卒、1977年旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)に入行。総会屋事件の際、広報部次長として混乱収拾に尽力。その後「非情銀行」で作家デビュー。近作に「人生に七味あり」(徳間書店)など。兵庫県出身。

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