「兜町」交差点が誕生 金融都市のシンボルに

東京, 5月08日, /AJMEDIA/

 東京・日本橋の東京証券取引所近くにある交差点の名称が今春、「茅場町」から「兜町」に変わった。古くから証券・金融の中心地として知られる兜町の名を積極的に発信しようと、地元住民らの働き掛けで実現。交差点が新たなシンボルとなり地域活性化につながることが期待されている。
 実業家の渋沢栄一らの尽力で日本初の証券取引所や銀行が設立された兜町。かつては多くの証券会社が拠点を構えていたが、株取引の電子化で1999年に東証の立会場が閉鎖されると、次々移転。以前は昼休みや夕方ともなると証券会社の社員らが飲食店などに繰り出してにぎわった街の活気は、徐々に失われていった。
 ただ近年は、東証ビルを保有し「取引所の大家」とも呼ばれる平和不動産が、周辺地域の再開発に着手。再活性化に向けた機運が高まる中、兜町周辺に町名を示した標識がないことなどから、地元の複数の町会が2019年ごろから関係自治体との調整を始めた。
 兜町で18年まで約70年間営業したうなぎ店「松よし」元店主で兜町町会会長の江本良雄さん(71)によると、東京五輪・パラリンピックの延期で当初の予定から遅れたものの、今年3月末、交差点名を記した標識の付け替え工事が行われ、兜町交差点が誕生した。
 兜町交差点の一角には昨年8月、大型ホールや飲食店が入り、再開発の目玉となる複合ビル「KABUTO ONE(カブトワン)」が完成。同町かいわいでは、政府の「国際金融都市構想」実現に向け、金融庁が海外の資産運用会社の日本参入に関する相談に英語で応じる窓口を開設したほか、資産運用やフィンテック関連のスタートアップ企業の拠点も増え、休日には若者らが飲食店を訪れるようになった。
 変わりつつある街の姿に、江本さんは「起業家が栄え、兜町のイメージが高まっていけばうれしい」と話している。

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