「中露」接近でウクライナ戦争に新局面、米中露による覇権奪戦へ

東京, 3月5日, /AJMEDIA/

ウクライナ戦争が始まって1年が経過したが、停戦の見通しは立たず、戦闘は激化している。東部のウクライナ側の拠点バフムトに対して、ロシア軍が集中的な攻撃を行っている。これに対して、ウクライナ軍は、春に大規模反転攻勢に乗り出す予定で、クリミアの奪還も目指すという。

■ ロシア、長期戦への方針転換

 NATOはウクライナに武器支援を継続しており、2月24日にはポーランドがドイツ製の主力戦車「レオパルト2」4両を引き渡している。ドイツは18両、スウェーデンは10両、ポルトガルは3両を供与する。これらの戦車で戦車大隊の編成が可能となる。

 ポーランドは、自国製の主力戦車「PT91」60両も引き渡すという。アメリカは、主力戦車エイブラムス31両、イギリスは主力戦車チャレンジャー2を14両供与する。

 供与側はウクライナ兵に戦車操作の訓練を行っているが、ゼレンスキー大統領が期待するほど迅速には進んでいない。ウクライナにとっては、西側からの武器支援が命綱であり、戦闘機や長射程のミサイルの供与も求めている。

 しかし、戦闘機となると、戦車以上に要員の訓練が必要であり、また、機体の整備にも熟練の要員が要る。専門家によれば、実戦配備までには最低でも1年半はかかるという。

 イギリス国防省は、2月24日、ロシアがウクライナ全土を掌握して、現政権を打倒するという当初の目標を撤回して、ウクライナ軍の戦力を低下させることに主眼を置く作戦に切り替えたという分析を公表した。つまり、長期戦に持ち込み、ウクライナを疲弊させる戦略だという。

 この作戦は、短期決戦から長期戦への方針転換であり、戦争は長引くと考えざるをえない。
 ロシア人は長期の消耗戦には慣れており、極寒の自国での戦争では、冬将軍にも援護されて、敵を屈服させてきた。ナポレオンやヒトラーがその典型的な例である。しかも、モスクワを放棄して東のシベリア方面に退けば、敵の補給線は長くなるばかりであり、兵站という点からも敵に勝ち目はない。

 今回のウクライナ侵攻の場合は、ロシア国内に敵が攻め込んだのではないし、ウクライナの北には同盟国のベラルーシがいる。補給路という点でロシアが不利な立場にあるわけではない。

■ 兵士と兵器の消耗

 問題は、補給すべき兵器の欠如である。正確な数字は分からないが、保有する戦車の約半数は破壊されたという。また、ミサイルも撃ち落とされて、その数が激減しているという。ウクライナ国防省によると、ロシア軍は高精度の巡航ミサイルが不足し、エネルギー施設などのインフラを標的にした攻撃を見直さざるをえなくなったといい、それが開戦1年の節目に予想されていた大規模ミサイル攻撃が行われなかった理由だとしている。

 ウクライナ軍参謀本部の発表(2月8日)なので正確かどうか不明だが、開戦以来のロシア軍の死者は13万4100人、失った戦車3253両、装甲車6458両、大砲システム2236基だという。関連情報では、ニューヨークタイムズは、死者数を約20万人としているし、ロイター通信は1月の死者を6500人としている。

 訓練も不十分な動員兵を前線に投入すれば犠牲者が増えるのは当然である。しかし、ロシア人は戦争で多数の死者が出ることには慣れており、しかも「母なる祖国」を守るために尊い命を捧げた英雄とされるのである。第二次世界大戦では、軍人約1000万人、民間人約1700万人、合計約2700万人が犠牲になっている。

兵器の損失に関連して、中国が武器支援をするのではないかと、西側は危惧し、アメリカのブリンケン国務長官は、中国外交のトップ、王毅共産党政治局員に対してロシアに武器を供与しないように警告を発した。アメリカは、中国がロシアに武器以外の軍民両用支援を行っていると確証しており、今後は殺傷力を伴う武器支援を検討しているという情報を得ているという。

 ウクライナ戦争に中国がどのように関与してくるのか、今後の米中の世界覇権競争にも影響を及ぼすだけに注目したい。

 ブリンケンは、2月28日、カザフスタンの首都アスタナを訪問し、中央アジアの旧ソ連構成国の5カ国(カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギス、タジキスタンの外相と会談し、対露依存からの脱却を促すために、2500万ドル(約34億円)を拠出することを約束した。これらの諸国とロシアの関係強化を牽制したものである。

 同じ頃、27~28日、ロシアのラブロフ外相は、アゼルバイジャンの首都バクーを訪問し、アリエフ大統領と会談した。旧ソビエト圏への梃子入れであり、アメリカへの対抗意識を鮮明にしている。

 アメリカは、上記5カ国がロシアの経済制裁逃れに利用されないように警告している。しかし、現実には並行輸入をはじめ、この地域を活用した様々な形での経済制裁回避が行われている。アメリカが食い込んで行くのは容易ではない。
 2月23日に、国連総会緊急特別会合において、ロシアの戦争犯罪に対する調査や訴追、ロシア軍の無条件撤退を求める決議案が上程されたときには、棄権するか欠席するかしており、ロシアとの良好な関係を維持していることもまた事実である。

 さらに、この地域は、アジア、ヨーロッパ、中東を結ぶ交通の要衝であり、「一帯一路」構想を進める中国の習近平政権にとっても重要であり、ブリンケンは、中国に対抗する意欲もまた示したのである。

 そして、このアメリカの動きに対抗するかのように、中国の習近平主席は、ベラルーシのルカシェンコ大統領を中国に招待したのである。ルカシェンコは、2月28日から3月2日まで中国に滞在し、首脳会談を行った。両国の協力関係の強化を図るとともに、ロシアと中国の仲介役として、西側による対露経済制裁の影響を最小限にする方途を探ったようである。

 ルカシェンコは、「中国による平和への提案や国際安全保障に関する取組を完全に支持する」と述べている。

 モスクワでは、3月1日、新たな地下鉄が完成したが、全長70kmの世界最大の環状線である。開通式で、プーチンは「この新しい地下鉄を習近平国家主席に見せたい」と述べ、習近平をモスクワに招く意向を示している。今後の中露関係の展開にも注目したい。

■ アフガニスタン侵攻の教訓

 アフガニスタンでは、1978年に共産主義を掲げるアフガニスタン人民民主党が政権を握った。しかし、これに対抗する武装勢力は激しい抵抗運動を展開し、全土を制圧する勢いとなった。そこで、共産主義政権はソ連に助けを求めたのである。

 この要請に応えたソ連のブレジネフ政権は、1979年12月24日、アフガニスタンにソ連軍を侵攻させた。これは国際法違反であり、国際社会はソ連を厳しく批判した。ムジャーヒディーンと称する兵士たちは、抵抗活動を「聖戦(ジハード)」と位置づけて戦ったが、世界中からイスラム教徒の義勇兵が馳せ参じたのみならず、アメリカも背後で武器援助などを行った。

 こうして泥沼の戦争が10年も続いたが、ゴルバチョフの登場により、1989年2月15日にソ連軍の完全撤退が完了したのである。

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