青木 保×廣瀬陽子 ウクライナ戦争のいま、注目すべき狭間の国々と文化戦略

東京, 3月13日, /AJMEDIA/

狭間の国々の重要性
青木 廣瀬先生は国際政治学がご専門ですが、私が特に先生のお仕事に関心を持つのは、大変な行動力をお持ちで、コーカサス地域をはじめとして、大国に囲まれ翻弄される〝狭間の国々〟の政治学・地政学を、実地に滞在して研究されているからです。いま戦場となっているウクライナはまさに狭間、中央アジアの国々や、台湾やミャンマー、スリランカなどもそうです。

 今日は特にコーカサス地域についてしっかりとお聞きしたいですね。かねて私も行きたいと思っているところです。そもそも、なぜ、狭間の国々に関心を持たれたのですか。

廣瀬 きっかけは2000~01年のアゼルバイジャンでの在外研究でした。博士課程では旧ソ連の国々の紛争を研究したかったのですが、その足がかりとして、まずはどこか一国をしっかり見ようと。最も気になっていたのが1988~94年のナゴルノ・カラバフ紛争でした。旧ソ連の他の紛争はすべて内戦で、そこにロシアが介入して分離主義派を支援するという構図でしたが、ナゴルノ・カラバフはソ連時代は内戦だったものの、ソ連解体後はアルメニアとアゼルバイジャンという二国間の戦争になっていた。

 2020年の第二次戦争まではアゼルバイジャンは領土の約20%をアルメニア系住民に占領された被害者だったにもかかわらず、国際社会はアゼルバイジャンばかりを非難していた。アメリカに至っては経済制裁まで科していたんです。アゼルバイジャンがイスラム教徒の国で、アルメニアがキリスト教国であることも影響していたのでしょう。

 ディアスポラ(離散)の民であるアルメニア人は英語やフランス語での発信に長けており、日本で手に入る英語文献にはことごとくアゼルバイジャンが悪玉であるように書かれていた。これはいくらなんでも不条理だろう、自分の目で、現地の言葉で状況を確かめなくてはと、現地入りを決めました。

青木 現地での調査研究は必須でしょうね。アルメニア人は国際的です。アメリカなどに成功した富裕層が多くいるし、どこかユダヤ人に似ていると言えるかもしれません。

廣瀬 アルメニア人は経済力を背景にした強大な政治力・影響力を持っています。他方、まだオイルマネーのなかった当時のアゼルバイジャンは発信力に乏しく、その主張が日本にはほとんど伝わってこなかった。アゼルバイジャン側のスポークスマンになるつもりはありませんが、現地に行ったことでそれまで分からなかったものがたくさん見えてきて、主流ではない国の生の状況を見ることの重要性を感じました。

青木 日本との関係でいうと、2018年の河野太郎外相の訪問は非常に喜ばれたとか。

廣瀬 アゼルバイジャンには1999年に高村正彦外相が訪問していますが、ジョージアとアルメニアを含むコーカサス3ヵ国を訪問したのは河野外相が初めてでした。2015年に安倍晋三首相が中央アジア5ヵ国を歴訪した際、「中央アジアには首相が来るのに、コーカサスには外相すら来ないのか」と現地には焦燥感が広がっていたので、この訪問は絶賛され、大きな意味を持ちました。

青木 狭間の国々への訪問は外交上の影響が非常に大きいですよ。日本政府も民間も、そのことをもっと理解して対処すべきだと思いますね。

廣瀬 日本は3ヵ国すべてと良好な関係にある珍しい国ですから、もっと積極的に関われば、地域の安定に貢献することもできるはずです。

 アゼルバイジャンを見ていると、狭間の国々にとって、バランス外交がいかに重要かを痛感します。バランスをとっている限りはうまく立ち回れますが、どちらかに振れてしまうと大きなハレーションが起きる。

 ウクライナやジョージアは主権国家として当然の振る舞いをしているつもりなのでしょうが、隣の大国ロシアの目には欧米に近づきすぎと映り、「許せん、戦争して引き戻さなくては」となる。その点、アゼルバイジャンはロシアと欧米の両方とうまくやっていますが、それもオイルマネーの強みがあるからできること。アルメニアや中央アジアの資源がない国はロシアへの依存度が高く、極端に欧米に振れることができません。狭間の国がうまくやっていくには独特の原理が必要なのです。

青木 いま、NATO(北大西洋条約機構)加盟を申請中のフィンランドも、ロシアと西側に挟まれた狭間の国です。廣瀬先生は2017年にヘルシンキ大学の訪問研究員をなさったこともありますね。

廣瀬 フィンランドはロシアをよく研究していますし、欧米の一員であるにもかかわらずロシアが比較的警戒せず付き合ってきた珍しい国です。思考は西側寄りですが、ロシアのことも偏見なく尊重してきた。冬戦争(1939~40年の第一次ソ連・フィンランド戦争)、継続戦争(1941~44年の第二次ソ連・フィンランド戦争)ではいまのウクライナと同様の目に遭っていますから、ロシアの怖さも知りつつ、その後はうまくやってきた外交力がすごい。源泉にあるのは「なんとしても独立を維持する」という強い信念です。その〝狭間性〟を活かして、ロシアと欧米の交渉では仲介役を務め、国際的なプレゼンスを高めてきました。

 実はフィンランドとウクライナには共通点があります。いずれも、レーニンが国家としてのステイタスを守ったんです。ウクライナはソ連内の国家でしたが、それが現在の主権国家の座の維持に繋がりました。

青木 それは面白い。昔読んだエドマンド・ウィルソンの『フィンランド駅へ』を思い出しますね。

廣瀬 スターリンがフィンランドを併合しようとしたのに対し、レーニンは独立を支持した。その状況が許せず、スターリンは冬戦争を起こしました。プーチンも、レーニンがウクライナを独立させたからこそ、ウクライナ人はつけ上がったと考えている。その意味で、ウクライナ戦争と冬戦争・継続戦争は似ていて、こうした背景も、フィンランドが今回、「もう中立ではいられない」と方針を転換し、NATO加盟に舵を切った理由の一つだと思います。

 昨年10月に国際会議のためフィンランドを訪れた際、ロシア嫌悪の世論の高まりを強く感じました。「これまで中立で我慢していたけれど、あんな暴挙に出る国にもう遠慮はいらない、自衛すべきだ」と多くの人が考えているし、「ウクライナにあれほど苦戦しているロシアなどもはや怖くない、NATOに入って自由にやればいい」という声も一部から聞こえました。

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