那覇の海軍壕、埋没危機 かつて公開も活用機運なく―調査求める声・沖縄戦78年

東京, 6月24日, /AJMEDIA/

那覇市内の住宅街の一角に、太平洋戦争末期の地上戦で旧日本海軍が拠点とした「寿山壕(ごう)」がある。かつて一般公開された時期もあったが、保存に向けた機運の高まりは見られない。埋没や風化が危惧される中、平和教育での活用などを訴える声が出ている。
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 壕は那覇空港から東に約2キロの公園内にあり、旧海軍の小禄飛行場(現・那覇空港)を守備した部隊が使った。全長は500メートルで、整備され一般見学が可能な「旧海軍司令部壕」(沖縄県豊見城市)より長い。司令室、作戦室などがあった中心部分はコンクリートの堅固な造りで、当時は将校以下1000人がいたという。
 1990年代に一時公開され、2000年代も小学生が平和学習で内部に入ったが、07年ごろから市が許可しなくなった。理由ははっきりせず、市幹部は「明確な活用方針はない」と話す。
 90年代に壕でガイドを担った平和団体関係者は保存状態は良好だとした上で、市民が巻き込まれた他の戦跡と異なる性格がネックになると指摘。市の関係者は崩落の危険性は低いとの見方を示しながらも、「陥没や亀裂が見つかれば、埋め戻しの動きが出かねない」と懸念する。
 ただ、工事には住民が動員され、海軍兵の3分の1は沖縄での現地召集者だった。一般公開に関わった元市幹部は「市は身近で貴重な戦跡を利用すべきだ」と強調する。
 壕は80年まで米軍施設内にあり、十分な遺骨収集が行われていない可能性もある。旧海軍司令部壕では今年、遺骨や遺品が続々と見つかっており、関係者は「高齢の遺族に届くチャンスがついえる。調査は絶対に必要だ」と訴えている。

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