規制強化で窮地の学習塾、苦労人の創業者は乗り越えられるか

東京, 11月28日, /AJMEDIA/

中国政府は7月、小中学生を対象とした学習塾の規制強化策を公表した。宿題と校外学習の軽減という「双減」方針は、生徒や家庭、学校に大きな影響をもたらしたほか、学習塾を運営する企業に大きな打撃を与えた。塾企業に対しては「小中学生対象の塾は非営利団体として登記すること。株式市場で資金調達して塾に投じることを禁じる。週末や祝日、夏、冬休みに塾の学習を行ってはいけない」などと規制。これにより、塾企業は大小を問わず株価が急落し、塾の閉鎖やリストラなど、窮地に立たされた。最大手の「新東方(New Oriental Education)」の株価は、政策公表前と比べ90%下落し、2000億元が蒸発した。(文 日中福祉プランニング代表・王 青)
 新東方は1993年に留学対策の英語塾として創業、その後、幼児教育から小中高の「K12」向けまで展開し、中国を代表する学習塾となった。中国全土をカバーしており、従業員の数は7万~10万人と言われている。
 会社の規模の巨大さは言うまでもないが、何よりも創業者の兪敏洪氏は、常に世間から注目されてきた。それは、彼の生い立ちや、失敗の連続と並外れた努力、公益に熱心な人物として、多くの若者を鼓舞し、激励してきたからだ。
 兪氏は62年、江蘇省にある小さな村の貧しい農家に生まれた。中学校まで、養豚と稲作の家業を手伝いながら、学業を続けた。大学統一進学試験に2回落ち、3回目の試験を前に村を飛び出し、宿舎付きの英語学習塾に入学した。
 宿舎は何十人が1部屋で雑魚寝する状態だったが、彼は「(自分の)田舎と比べたらまるで天国であった」と、後に振り返っている。猛勉強の結果、めでたく北京大学の英語学部に合格した。
 英語の発音に田舎のなまりがあると嘲笑され、一生懸命、直そうとする一方、在学中に結核を患い休学もした。
 その後、大学にとどまり、英語の講師となったが、80年代に起きた海外への留学フィーバーに影響され、米国に留学をしようと決意。渡航費や学費を稼ぐため、大学の講師の傍らで、副業として英語を教える個人塾を開いた。
 ところが、米中関係が悪化し、米国は中国人の留学ビザの発給を停止。数年間の努力と貯蓄が泡となった。その上、泣き面に蜂のように、大学に内緒にしていた副業の英語塾がばれて、大学から除名された。90年の秋だった。
 何もかも失った彼は、2年間の暗黒の時を過ごした。93年にやっと、家族と一緒に小さな学習塾を起業する。
 名称は「北京新東方学校」。広告宣伝費を節約するため、夜中に電信柱に塾宣伝の紙を張り付けた。氷点下20度の冬の夜には、凍ったのりに指がくっつき、けがをしたこともあったという。
 また、事業を拡大するため、営業の一環として、頻繁に役人や投資家などを招待する宴会を開いた。ビジネスの席でお酒を飲まなければ認められない中国独特の「お酒文化」の前では、飲めなくても飲むしかないと頑張った。
 しかも、自らお酒を勧めないと、仲間に入れてもらえない。ある席で、お客さん一人ひとりにお酒を勧めながら、自分も高アルコール度数の「白酒」を大量に飲み、わずか30分で意識不明となった。病院で生死の淵をさまよい、約6時間の治療でようやく一命をとり止めた。
 病院のベッドで目が覚めると号泣し、「もう事業をやめる!やめるんだ!」と叫んだ。しかし、「数百人の学生が待っているから」とすぐに病院から教室に向かったという。彼はこうした話をインタビューで語っていた。
 この約30年間で、新東方は大きく成長した。兪氏はこの会社に対し、子どものように愛情を注いだに違いない。双減方針の公表後、社内の会議で彼が涙を流した写真が中国のインターネットで瞬く間に拡散され大きな話題となり、同情の声が広がった。
 現在、新東方は従業員の約半分に当たる4万人を削減して、事業転換も急いでいるという。兪氏はこれまで繰り返し浮き沈みを乗り越えてきたが、今回も生き残れるのか大きく注目されている。
 (時事通信社「金融財政ビジネス」より)
 【筆者紹介】
 王 青(おう・せい) 日中福祉プランニング代表。中国・上海市出身。大阪市立大学経済学部卒業。アジア太平洋トレードセンター(ATC)入社。大阪市、朝日新聞社、ATCの3者で設立した福祉関係の常設展示場「高齢者総合生活提案館 ATCエイジレスセンター」に所属し、 広く福祉に関わる。

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