西村京太郎さんを悼む十津川警部のルーツ 奈良県十津川村

東京, 3月14日, /AJMEDIA/

 トラベルミステリーで人気を集めた作家、西村京太郎(本名・矢島喜八郎)さんが、3日に91歳で亡くなった。中でも「十津川警部シリーズ」は駅の売店に「常備」され、テレビドラマのファンも多い。その主人公、十津川省三の名の由来となったのが奈良県十津川村だった。西村さんは村の観光大使を務めるなど交流を続け、地元の関係者は別れを惜しんでいる。
◇地図で目にした日本一広い村
 ミステリー作家にとって探偵役の造型は作品の命であり、名前にも苦心する。西村さんは奈良県在住の写真家、早津忠保さんが出版した写真集「四季十津川」(光村推古書院)に寄せた序文に、命名のいきさつを記した。
 「(略)読者の印象に残る名前でなければならない。それに、さわやかで、かつ、力強い感じも欲しいと、欲張りなことを考えてしまう。(略)電話帳を見たり、同窓生の名簿を見たりしたが、これという名前が浮かばない。苦労している時、日本地図を見ていて、眼に止まったのが十津川村だった」
 地図で目立ったのかもしれない。面積が琵琶湖とほぼ同じ面積672平方キロメートルで、村としては日本一広い。県の最南端に位置し、1890(明治23)年に6カ村が統合してできた長い歴史を持つ。
 十津川警部シリーズの第1作は1975年の「消えたタンカー」(光文社)で、題名通り海が舞台だった。78年に「寝台特急殺人事件」(同)がベストセラーになり、鉄道を題材にした作品が多くなるが、十津川村には鉄道が通っていない。
◇最終回待たずに来村
 奈良県橿原市から路線バスで4時間半かかり、面積のほとんどを山林が占める村へ西村さんが初めて入ったのは、早津さんの写真集が出版された2004年。意外にもシリーズ第1作から30年近くたっていた。
 早津さんは「それまでに村の職員が先生を訪ねるなどの交流があり、私は役場の勧めで序文をお願いした」という。
 西村さんはずっと、最終回で警視庁を引退した十津川警部が初めて村を訪れ、自分のルーツを探る物語を構想していたという。だが、人気の長寿シリーズとなってその時が来ないまま、初訪問を機に「十津川村 天誅殺人事件」(06年、小学館)を書き上げた。
 04年は「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録された年でもある。十津川村には最も厳しい修行場の大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)や「天空の郷」と呼ばれる小辺路(こへじ)集落があり、西村さんは日本の原風景のような村内を歩いた。
 郷土史も調べ、作品では歴史の転換期に奔走した「十津川郷士」の存在など村の歴史が絡む事件を、十津川警部が解いていく。
 取材に同行した早津さんは「私は緊張していましたが、大変気さくな方で、すぐ打ち解けてくれた」という。名所の一つで、生活用の鉄線吊り橋としては日本有数の高さ(54メートル)と長さ(297メートル)を誇る「谷瀬(たにぜ)の吊り橋」では、「先生は高い所が苦手で、僕はいいよと言って渡らずに国道から見ていた」と懐かしむ。
 来村を機に、村でも温泉宿泊施設「ホテル昴」のロビーにライブラリーを開設した。村内の木材でできた書棚に「十津川警部シリーズ」が並び、宿泊客らが楽しんでいる。
◇置村130年のメッセージが最後
 村内には名湯が多く、04年には全温泉施設を源泉かけ流しにした。翌年、他道県の温泉地とともに「源泉かけ流しサミット」を開催した際も西村さんはメッセージを寄せ、09年にはさだまさしさんらとともに第1期十津川郷観光大使を委嘱された。
 17年には北海道新十津川町を舞台にした「札沼線の愛と死 新十津川町を行く」(実業之日本社)を刊行している。同町は1889年の大水害で壊滅的な被害を受けた十津川村から移住した人々が、苦難の末に開拓した新天地。今も十津川村を「母村」と呼ぶ。
 十津川村は、2011年の紀伊半島大水害でも甚大な被害を受け、西村さんからメッセージが寄せられた。20年の置村130年式典には「十津川村の未来は輝かしいものと確信しています。また十津川村の自然と温泉を楽しみにお邪魔したいと思いますし、十津川村を舞台にした小説を書かせて頂きたいと思います」と直筆の祝辞が届き、これが最後になった。
 村は10日、ホームページで小山手修造村長が「『十津川村』という存在が、広く世の人々に認知いただいているその要因に、西村様の作品が大きな存在であることはまぎれもない事実であり、感謝の念に堪えません」と弔意を表した。「これから追悼の取り組みを検討したい」(産業課観光グループ)という。
 西村さんは昨年の十津川警部シリーズ「石北本線殺人の記憶」(文藝春秋)など最近まで精力的に執筆していた。40年近く村の写真でカレンダーを製作している早津さんは、「昨年末にも先生に送ったところだった。夜中に原稿を書き、取材でも忙しくして、お元気だったのに残念です」としのんだ。(時事通信社元奈良支局長 若林哲治)。

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