消滅都市 「小ヒロシマ」に残る相互不信 「王墓を掘り返し、 家畜も」-Part 1

東京, 2月7日, /AJMEDIA/

アゼルバイジャンの道路地図を眺めていると、 ナゴルノカラバフの東部にある奇妙な一角に気づく。 道路が入り組んで、そこには明らかに都市がある様相なのに、建物の表示が全くない。 街からある日、 住民が住居とともに消え失せたかのようだ。

この街アグダムはソ連時代、 地域の中心として栄えていた。 ナゴルノカラバフのアルメニア人の中心 都市がステパナケルトであるのに対し、 アゼルバイジャン人の街として、 経済覇権を争った。 突然消滅し たのは、第1次ナゴルノカラバフ紛争さなかの1993年7月。 アルメニア勢力がこの街を制圧し、周辺を 含めて約4万人いたアゼルバイジャン人の住民らは、家財を手にする間もなく退去させられた。 94年の 停戦後は、両者が向き合う緩衝地帯に組み込まれ、建物はほぼすべて破壊された。

英国の著名ジャーナリストのトーマス・デワールは、2001年にアルメニア側から訪れたこの街を、 その 著書 「黒い庭」(未邦訳)で「小ヒロシマ」と表現した。 被爆直後の一面の焼け野原のイメージからだろう。
その街を、2020年の第2次ナゴルノカラバフ紛争でアゼルバイジャンが奪還した。 以後、復興が進むという街を訪れた。

廃虚からの復興 ナゴルノ・カラバフの現在地->
30年前の紛争で一面の廃墟となったアゼルバイジャンのアグダムは、 被爆直後の焼け野原になぞ らえて「小ヒロシマ」と呼ばれます。 復興作業が続いている街で記者が見たものは
略奪、放火・・・ 町には壁だけが残った

首都バクーから平原の中を西に車で約4時間走ると、 正面に山並みが見えてくる。 その山岳地帯がナ ゴルノ・カラバフだ。 手前に軍の検問があり、 旅券をチェックされる。 つい2年前まで、ここはアルメニア側 支配地域との境界線だった。 その先は、第2次ナゴルノ・カラバフ紛争の末にアゼルバイジャンが取り戻 した土地。 許可なしには入れない。
検問の横で、案内役の男性が車に乗り込んでくる。 この地域を統治する 「カラバフ経済地方解放地域 「大統領特別代表」の下で上級補佐官を務めるアラズ・イマノフさん(39)。 元は外交官だが、 ナゴルノカ ラバフ奪還を受けてこの職に応募したという。

イマノフさんには、アグダムに暮らしていた親戚がいるという。 「当時パクーに住んでいた私の家に、こ こを追い出された彼らが打ちのめされてやってきたのを、この目で見ました。 その時はみんな「しばらくす すると帰郷できる」と考えた。 避難民生活が30年も続くなんて、誰も思わなかったのです。 でも、多くの人 では、故郷を見ることないまま亡くなりました」

イマノフさんの案内で車を進めると、アグダムの街の手前に、 村の跡が見える。 ぼろぼろに崩れ、 廃虚が広がるばかりだ。

「この村は、戦争や軍事作戦で壊されたわけではありません。 アルメニア人が来て、すべてさらってい ったのです。 窓枠からドアから石材からすべて持ち去り、略奪が終わった家には放火したため、木造の 屋根が崩れ落ちて壁ばかりが残ったのです」

アルメニア人に対するイマノフさんの声は厳しい。 「アルメニアはここを占領したのに、破壊する以外に何もしなかった。一つの家も建てなかった」とも非難した。

ただ、アルメニア側にも言い分はあるだろう。 「黒い庭」は、 アグダムの家屋から持ち去られた建材がステパナケルトの復興に使われた、 と記している。 ステパナケルトは、第1次紛争でアゼルバイジャン側 からの攻撃を受け、廃虚になりかけた。 人が住む街を再建するためには、 無人の街を利用せざるを得 ないと、アルメニア側は反論するに違いない。

街に入る。 一面の廃が続く中で、 原形の面影を残すものがいくつかあった。

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