日中企業、半世紀で関係深化 松下電器が先鞭、1万社超現地へ―国交正常化50周年

東京, 9月27日, /AJMEDIA/

 1972年の日中国交正常化は、両国の経済界が関係を深める契機となった。松下電器産業(現パナソニック)が中国展開に先鞭(せんべん)をつけ、ピークは過ぎたものの1万社超の日本企業が現地に進出。一方、中国企業は経済成長に伴って力をつけ、日本勢が衰退した家電分野では攻守が交代している。
 ◇「神様」の決断
 「あなたは経営の神様と言われていますね。中国の近代化を手伝ってくれませんか」。国交正常化から6年後の78年10月、訪日して松下電器を視察した中国のトウ小平副首相(当時)は、創業者の松下幸之助氏にこう直談判した。同氏は「21世紀はアジアの繁栄の時代。協力しましょう」と即答したという。
 幸之助氏は当初、日本の電機業界全体を巻き込んで合弁会社を設立する構想を描いていた。しかし、経済体制が異なる中国での事業だけに調整は難航。松下電器単独の合弁とすることで落ち着いた。
 87年には、カラーテレビのブラウン管を製造する中国側との合弁会社「北京・松下彩色顕像管」が発足。従業員250人を日本に呼び、半年から1年の技術実習を受けさせて準備を整えた。89年6月3日に第1号製品が完成し、翌日には世界が震撼(しんかん)する天安門事件が起きたものの、日本大使館とも相談して操業を継続した。
 幸之助氏はこの直前に死去したが、病床で完成した工場の写真を見ると満足そうに笑ったという。当時松下電器社員として中国事業に携わった青木俊一郎氏(82)は「合弁は創業者の最後の作品だった。政治体制は違うが、とにかく中国の一般国民を豊かにしたいという思いだったのだろう」と語る。
 ◇中国企業の躍進
 松下電器の支援や国を挙げた振興策が功を奏し、中国は産業の近代化に成功した。90年代以降は豊富な労働力で「世界の工場」と呼ばれ、世界各国の企業が殺到。一方、日本の製造業は韓国や台湾を相手に苦杯をなめ、急速に競争力を失っていった。
 近年は日本のお家芸だった家電や電子機器の分野で中国企業の躍進が目立っている。家電のハイアールは、旧三洋電機の冷蔵庫・洗濯機事業を買収。パソコンのレノボは、NECや富士通のパソコン事業を傘下に収めた。家電のハイセンスは、2018年に「REGZA(レグザ)」ブランドで知られる東芝のテレビ事業を買収している。
 約50年前にラジオ工場として発足したハイセンスは、テレビや家電に進出して世界各国に販売網を持つ。10年に設立された日本法人の李文麗社長は「当初はブランドが全く認知されていなかった」と振り返る。レグザのノウハウを採り入れて商品力を高めたほか、3カ所のサービス拠点を設けて顧客対応も強化し、日本のテレビ市場でのシェアが1割超(レグザを除く)にまで成長した。
 ハイセンスグループのテレビ生産台数は年2000万台と、世界有数の規模を誇る。李氏は「グループの生産力や調達力を生かし、消費者にメリットのある価格でいい商品を提供できる」と意気込む。日本は人口減少や長期の経済停滞に直面しているが、李氏は「日本は技術、品質、サービスで世界トップクラス。優位性は短期間で変わらない」と楽観的だ。「日本に投資を続ける」と事業拡大に意欲を見せている。
 日中の経済関係は半世紀の間に発展を続けてきたが、変化の兆しも出てきた。帝国データバンクによると、12年には1万4394社の日本企業が中国に進出していたが、22年6月時点の調査では1万2706社に減少。同社は「人件費上昇で輸出基地としての(中国の)優位性が低下し、東南アジアなどに拠点が分散している」と分析している。米中貿易摩擦などの波乱要因もあり、今後は曲がり角を迎える可能性もある。

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