終戦の年の「学校日誌」100校超で現存 戦争被害が克明に

東京, 6月21日, /AJMEDIA/

80年前の終戦の年に、子どもたちの学校生活などを記録した「学校日誌」は、多くが空襲で焼失するなどしたと考えられてきましたが、全国や台湾で100を超える学校の日誌が残されていたことが研究グループの調査で分かりました。

「学校日誌」は原則として一般に公開されず、保存状況の把握や詳しい検証が行われてこなかったということで、専門家は「地域の大人や子どもたちがどのように戦争に巻き込まれていったのか実態の把握につながる貴重な1次資料だ」と指摘しています。

「学校日誌」は校内の行事や子どもたちの学校生活などを教員が記録したもので、80年前の終戦の年に記された日誌については空襲で焼失したり戦後に処分されたりしてほとんど残っていないと考えられてきました。

しかし、学習院大学の斉藤利彦名誉教授の研究グループが全国の学校などを対象に調査した結果、昭和20年度の「学校日誌」が30の都道府県と台湾で少なくとも104校分残されていたことが分かりました。

日誌には空襲によって子どもたちが亡くなったり、空襲警報が発令されて行事が中止になったりして戦争で被害を受けていく様子などが克明に記されています。

また、終戦の日の8月15日の日誌を分析したところ、多くの学校では昭和天皇の玉音放送を聞いて涙を流し、敗戦を悲しみ悔やんだことが記されていて、研究グループは天皇と国のために尽くすことを最優先することが教育現場にも浸透していたことがうかがえるとしています。

一方で、長野県安曇野市の温明国民学校の「学校日誌」には、「平和を取り戻すことに関する詔勅が公布される」という内容が記され、「終戦」を「平和」ということばで表現していて、研究グループは平和への希望が込められているのではないかと分析しています。

「学校日誌」は原則として一般に公開されず、保存状況の把握や詳しい検証が行われてこなかったということで、斉藤名誉教授は「当時、地域の大人や子どもたちがどのように戦争に巻き込まれていったのか実態の把握につながる貴重な1次資料だ。戦争が何をもたらしたのかを日誌を通して明らかにしていく必要がある」としています。

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