福島県双葉町、旧庁舎に依然3000箱の文書 貴重な記録、活用模索も進まず―東日本大震災12年

東京, 3月5日, /AJMEDIA/

東京電力福島第1原発が立地し、原発事故で全町避難を余儀なくされた福島県双葉町。昨年8月にようやく一部で避難指示が解除されたが、事故直後に避難活動の司令塔となった旧庁舎には、段ボール約3000箱に上る行政文書が残されたままとなっている。東日本大震災や事故に関する貴重な記録が含まれている可能性があり、町は整理や活用を模索するものの、人員が限られ、作業は進んでいない。
双葉町は震災翌日に全町避難が決まり、役場機能を埼玉県加須市に移した。福島県いわき市への再移転に伴い、旧庁舎にあった文書や資料の多くを段ボールに詰めた。条例改正の資料など永年保存が義務付けられた文書はいわき市に移したものの、スペースの都合上、一部が旧庁舎に残された。
 震災や原発事故の記録保全や研究のため、町教育委員会と筑波大学は2013年、連携協定を締結。旧庁舎からは、原発が津波で電源喪失し、事故に至るまでの緊迫した状況が記録された模造紙などが別の場所に移されたが、段ボールの資料は手付かずだ。職員は「マンパワーが足りない。整理する重要性は分かっているが、あまりに多い」とため息をつく。
 資料の中には震災や原発事故直後に職員が残した記録も含まれている可能性があるが、精査はできていない。専門家は、一見重要でないと思われるものでも被災者の記憶を呼び起こす「触媒」になり得ると指摘する。
 同町の資料保全に関わる筑波大学の白井哲哉教授(図書館情報学)は、例として旧庁舎にあったホワイトボードを挙げる。避難所への食料配布を確認する手書きの表が記されているが、震災翌日の朝を最後に確認欄は空白のままとなっている。当時町議だった伊沢史朗町長はこれを見て、避難に至る状況を鮮明に思い出し、止めどなく話したという。
 白井教授は「今も当時の状況を示す貴重な資料は数多く残っている。震災文書とは何かをよく考えた上で、慎重に評価選別する必要がある」と話した。

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