ピカソ没後50年 戦争と平和テーマの作品 フランスで関心高まる

東京, 4月8日, /AJMEDIA/

20世紀を代表する画家、パブロ・ピカソが亡くなってから、4月8日で50年となります。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続く中、ピカソが晩年を過ごしたフランス南部では、戦争と平和をテーマにしたピカソの作品への関心が高まっています。

晩年を過ごした自宅の庭 死後初めて報道陣に公開
1881年にスペインで生まれたピカソは、スペイン内戦や第2次世界大戦のあと、60代でパリからフランス南部に移住し、平和のシンボルにもなった「ハト」をモチーフにした作品など、戦争と平和をテーマにした作品を多く制作しました。

フランス南部では、亡くなってから50年に合わせてさまざまな催しが企画されていて、カンヌ近郊のムージャンでは6日、91歳で亡くなるまでの晩年を過ごした自宅の庭が、ピカソの死後、報道陣に初めて公開されました。

生前、ピカソはこの庭や自宅に芸術家などを招いて交流していたということで、庭からは自然あふれた景色が見渡せます。

現在、自宅の建物と敷地は、ニュージーランド人の実業家が所有しているということです。

企画したムージャンのリシャール・ガリ町長は「ピカソは平和と戦争についての作品を生みましたが、こうしたすばらしい場所が多くのインスピレーションを与えたのだと思う」と話していました。
「戦争と平和」作品に込められたメッセージは
フランス南部のヴァロリスでは、ロシアによるウクライナ侵攻以降、礼拝堂だった建物の壁と天井に描かれた作品「戦争と平和」への関心が高まっているということです。

高さ4メートル、幅10メートルにわたる大作で、今は礼拝堂の建物全体が美術館となっています。

「戦争と平和」は、中世に建てられた礼拝堂のアーチ状の天井と壁面の全面に描かれています。

向かって左側が「戦争」、右側が「平和」と名付けられています。

このうち「戦争」は、黒や灰色を基調とし、血のついた刀を持ち、がいこつを背中にかつぐ人の姿や、知性の象徴でもある本を踏みつける黒い馬、そして血の色である赤がおどろおどろしく広がっています。

平和の象徴であるハトが描かれた盾をかざし、正義の象徴であるてんびんを持つ兵士の姿もあります。

反対に「平和」では、木の下で赤ん坊と一緒に横になる女性や裸で踊っている女性が描かれ、平穏や喜びが伝わります。

一方で、片足で立ちバランスを取る男の子や砂時計も描かれ、平和には限られた時間しかなく、簡単に崩れてしまうことを表しているとされています。

また中央には、両側の絵を完成させたあとピカソが描き加えた「世界の4つの部分」と名付けられた作品があり、4つの大陸を表すとされる4人が手をつなぎ、ハトを掲げています。

美術館によりますと、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻以降、多くの人が礼拝堂を訪れていて、作品のメッセージに関心を寄せているということです。

今月5日には、南部マルセイユから16人の中高年のグループが訪れていました。

ガイドを務めた町の観光局の局長は、「戦争」の中で、ハトがあしらわれた盾には、よく見ると人の顔が描かれていると指摘したうえで、「平和を手に入れる難しさを感じてもらうため、ピカソは作品を見にきた人に時間をかけて顔を見つけてほしかったのです」と説明していました。

また、兵士として描かれているのが1人だとして、「1人の人間、例えば国のトップが望めば、戦争を止められるという事実を表現するために描いたのです。あすプーチン大統領が戦争をやめると言えば、戦争は終わるからです」と述べて、ピカソが作品に込めたメッセージは、ロシアによるウクライナ侵攻にも通じるところがあるとしています。

南部マルセイユから訪れた女性は「この作品を気に入りました。平和が実はもろいものだと教えてくれます」と話していました。

町の観光局の局長は「ウクライナ侵攻以降、ピカソのメッセージがより多くの人に伝わっていると感じる。戦争が身近にある中で、ピカソのメッセージに鈍感でいられない」と話していました。

美術館で歴史を研究するガイディグ・ルマリエさんは「ピカソが経験した戦争だけでなく、ウクライナでの戦争にも響く普遍的なものになっている。ピカソにとって重要なのは自由が奪われることや、戦争による苦しみを告発することだ」と話し、平和への願いが込められたピカソの作品は現代でも重要なメッセージになっているとしています。
平和への願い込め 「ハト」をモチーフの作品を多く制作
ピカソは、1948年にヴァロリスに拠点を移し、「ハト」をモチーフにした作品を多く制作しました。

ピカソの描くハトは、1949年に平和に関する国際会議のポスターにもなったことで、平和のシンボルとして世界中に広がりました。

その後、ピカソはハトをモチーフに平和への願いを込めて多くの絵画や陶芸の作品を制作しました。

ピカソ美術館のルマリエさんは「ピカソは鳥が好きでしたが、あっという間に世界のシンボルになりました。ピカソのハトは、歴史や世紀を超えて誰もが理解できるメッセージを伝えている」と話しています。

また、ヴァロリスは陶芸が盛んなことで知られ、中心部にある陶芸作家の店ではハトが描かれている食器も販売されていました。

長年、地元で創作を続けている陶芸作家の女性は「ピカソがいることで多くのアーティストがヴァロリスに移住し、この地の陶芸も再興しました。今も彼の作品にインスピレーションを受けています」と話していました。

多才なピカソはこの地で陶芸を学び、亡くなるまで3000点以上の陶芸作品を残したとされます。

ヴァロリスにはピカソが通っていた理髪店の散髪台も残されているほか、中心部の広場にはピカソの彫刻作品が置かれ、その功績をたたえています。

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