ナゴルノ停戦1年 アゼルバイジャン奪還地で再建進む 対アルメニア、消えぬ敵意

東京, 11月10日, /AJMEDIA/

【バクー則定隆史】旧ソ連のアゼルバイジャンと隣国アルメニアの係争地ナゴルノカラバフ地方を巡る軍事紛争が停戦して10日で1年が経過した。事実上勝利したアゼルバイジャンはソ連崩壊期から約30年にわたりアルメニアによる実効支配が続いた領土の大部分を取り戻し、元住民の帰還に向けた再建に着手。首都バクーでは再び祝賀ムードが高まるが、国家間の敵意はくすぶり続け、真の和平実現への道のりは遠い。

 5日、アゼルバイジャン政府関係者同行のもと、曲がりくねった山道を車で上り、ナゴルノカラバフのシュシャ地区に入った。アルメニア側が管轄する中心都市ステパナケルト(アゼルバイジャン語名・ハンケンディ)を見下ろす要所で、シュシャ制圧はアゼルバイジャンの勝利を決定づけたとされる。高台に大きな国旗が揺れ、監視に当たる軍人の姿が見えた。

 ナゴルノカラバフはアゼルバイジャン領内にあるが、ソ連末期の1991年に住民の多くを占めたアルメニア人勢力が独立を宣言し、歴史的な帰属を主張し合う両国の紛争に発展した。キリスト教が主流のアルメニアとイスラム教徒が多数派のアゼルバイジャンの宗教対立も背景にある。

 昨年9月に再燃した軍事衝突は94年の停戦後で最大規模となり、両国で民間人も含めて計5千人以上が死亡したとされる。ロシアの仲介で11月10日に停戦し、アゼルバイジャンはシュシャを含むナゴルノカラバフ南部と、アルメニア側が緩衝地帯として支配を広げていた周辺地域を奪還。ロシアが停戦ラインと、ナゴルノカラバフとアルメニア本土を結ぶ回廊に平和維持部隊を配備している。

 シュシャ中心部ではホテルや食料品店が整備され、市庁舎や住宅建設など生活インフラの復興が進んでいた。「ここで働くのはアゼルバイジャン国民として言葉にできないほどの喜びだ」。9月にバクーから移住した市職員ザウル・ガサノフさん(42)はしみじみと語った。シュシャにはかつて約1万8千人のアゼルバイジャン人が暮らしたが、現在は建設作業員や軍・行政関係者らに限られ、一般住民の帰還は1年半後の開始を目指すという。

 アゼルバイジャン側は2度の戦争やアルメニアの占領下で大半の建物が破壊されたと批判しており、街のあちこちに時が止まったように被害の爪痕が残る。同行筋は朽ち果てた石造りのモスク(礼拝所)を指差し、「われわれの文化を消し去ろうとしたのだろう」と不快感を隠さなかった。

 「カラバフはアゼルバイジャンだ」。8日、バクーの大通りで祝賀パレードを見学した教師イリハ・アブドゥラザダさん(27)は言い切った。アゼルバイジャン政府は1年前にシュシャを解放したこの日を「勝利の日」と定め、政治的宣伝を強める。会社員ラシャド・アブドロフさん(43)は「われわれは戦勝国になったが、過去の悲劇は決して忘れない」と語った。

 ただ、停戦合意を主導したロシアはナゴルノカラバフの最終的な地位の確定を「将来の指導者によって解決される」(プーチン大統領)と先送りした。侵略されたと訴えるアルメニア側は、自国系住民の民族自決権は保障されるべきだとの立場を譲っていない。

 両国間では停戦後も国境付近で小競り合いが散発。アゼルバイジャンが拘束した捕虜の引き渡しや、アルメニアが敷設した地雷の正確な場所の情報提供など、停戦条件を相手が守っていないと非難の応酬が続く。

 昨年の紛争で看護師として兵士らを支援したというザリナ・ババエワさん(38)は複雑な胸の内を明かした。「たとえカラバフ地方のすべてを返してくれたとしても、亡くなった人は戻らない。アルメニアと友人になれるとは思わない」

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