「人同士の交流続けて」 「日ロの懸け橋」担うロシア人―ウクライナ侵攻1年・石川

東京, 2月18日, /AJMEDIA/

 ロシアのウクライナ侵攻から間もなく1年となる。17年前にロシアから来日し、現在は石川県能美市の職員として日ロの交流を支えるブシマキン・バジムさん(39)は、一日も早く戦争が終わり、交流が元に戻ることを願っている。
 ロシア極東ハバロフスク出身のブシマキンさんは、家族に日本人の知り合いがいたことなどがきっかけで日本語を学び始め、大学でも日本語を専攻。2006年に来日し、大学時代の留学先だった金沢大の大学院に進学した。大学院修了後は、それまでも時折アルバイトで通訳をしていた能美市に正式に職員として採用され、現在は能美市国際交流協会で両国の懸け橋としての役割を担う。
 能美市は合併前の旧根上町がロシア中部のシェレホフと1976年に姉妹都市になって以来、長い交流がある。しかしコロナ禍以降はオンラインのみとなり、ウクライナ侵攻後はそれも途絶えた。市も交流に消極的になり、現在は関係者間でメールのやりとりがある程度だという。
 ブシマキンさんによると、シェレホフではロシアがクリミア半島を併合した14年からウクライナの避難民を受け入れているため、今回の侵攻に反対の市民も多い。意見の違いで市民同士がけんかになるなど、社会の分断が進んでいるという。
 ロシア人の多くはウクライナに親戚や友人がおり、ブシマキンさんもその一人だ。「戦争は悲しいし、喜んでいる人はいない。みんな戦争が早く終わることを望んでいる」と話す。
 侵攻後に連絡を絶たれたウクライナの友人も多いというブシマキンさん。交流が続いている人もいるが、互いの国が戦争をしているという意識から「緊張感がある」といい、「一人の人間として見るのではなく、国籍で見るようになった」と残念がる。
 「能美市とシェレホフの交流が始まったのは国同士の関係が悪かった冷戦時代だった。(侵攻で)人と人の関係まで悪くなる理由はない。交流を続けてほしい」と願った。

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