東京, 2月24日, /AJMEDIA/
アーティスト・AIさん。
「Story」や「ハピネス」、「アルデバラン」など、聞けば前向きになれる曲を歌い続けてきました。「どんなスタートでも最終的にはハッピーエンドになってほしい」というAIさん。そうした思いを曲に込める背景には、歌手活動に大きな影響を与えたアメリカ・ロサンゼルスでの高校時代の経験があります。ことし、デビュー25年。いま、AIさんが届けたいメッセージとは?
歌手を夢見た中学時代
AIさんはアメリカ・ロサンゼルスで生まれ、鹿児島で育ちました。母親の影響で、マイケル・ジャクソンやホイットニー・ヒューストンといった洋楽を聞いて育ちます。幼いころから歌うことが大好きでした。
中学時代、芸能事務所に勤める親族の結婚式で歌を披露したところ、歌唱力が評価されスカウトされました。このことがきっかけでAIさんは、歌手を志します。
(AIさん)
歌うのは幼いころから好きでしたね。カラオケも大好き。でも歌手になりたいとは思っていなかったんです。結構、現実的な子だったので、なれないって思っていて。なりたいのは、幼稚園の先生やメークさん。いちばんなりたいと思っていたのはタップダンスの先生かな。ちっちゃいときから習っていたので。
(白鳥)
すごく現実的ですね。
(AIさん)
でも中学生の時に、親族の結婚式で歌を披露したら、事務所の人に「今度、東京においで」って声をかけられたんです。その時、「歌を仕事にできるんだ」って、はじめて知ったんですよ。
歌うのは本当に大好きだったので、高校に行かないで早く歌手になろうと思ったんですが、ママが「あなたはまだ若いんだから高校に行きなさい。アメリカに行っておいで、いい経験になるから」って言ったんです。私は「なんでだ…」って思ったけど、それまでママって「こうしなさい、ああしなさい」って言ったことないんですよ。私が学校休もうが、髪の毛の色変えようが、何にも言ったことなくて。だから、私が逆らって「行かない」って言ったら罰が当たると思ったんです。最後は「じゃあアメリカに行こうかな」と思ってロサンゼルスに行ったんですよね。
“一人じゃない” 「Story」に込められた思い
「一人じゃないから」というフレーズでおなじみの「Story」。AIさんを代表するこの曲が生まれた背景には、高校時代を過ごしたアメリカ・ロサンゼルスでの経験が大きく影響していました。
AIさんは、中学校を卒業後、単身渡米し、ロサンゼルスのアートスクール(アーティストを目指す生徒が集まる学校)に進学。しかし、勉強は苦手だったというAIさんは、退学寸前の危機に陥ります。
初めての1人暮らしに、学校では勉強に追われる日々。そうした生活の中で、歌手活動に大きな影響を与える“ある音楽”と出会います。
(AIさん)
1人暮らしは初めてだったので、お皿を自分で洗わないといけない、洗濯機の回し方もわからない、朝も自分で起きなきゃいけない。それまでは誰かが起こしてくれていたので。勉強も苦手で、本当に毎日大変。
そんな時、ロサンゼルスに住んでいた親戚のおばさんが、通っていた教会に「一緒に行こう」って誘ってくれたんです。そこでゴスペル・クワイア(聖歌隊)の歌に感動して、「私もそこで歌いたいな」って思ったんですよね。聖歌隊に入るのは難しいのかなって思っていたら、おばさんが言ってくれて、そうしたら牧師さんが私に「Welcome」って言ったんですよ。「えっ?これだけ?こんな簡単に入れるの?」日本人もいない、アジア人もいないっていうようなクワイアに入れてもらえたんです。
(白鳥)
ゴスペルのどんなところにひかれたんですか?
(AIさん)
特に歌詞が最高でしたね。「1人じゃないから」みたいな歌詞が多いんですよ。1人でのロサンゼルス生活が大変だったからすごく心にしみるんですよね。絶対に大丈夫だからとか、救われるような歌詞がすごい多くて。
自分がトラブル続きの毎日なんですよね。いいことが何もないって思ってる中で、絶対に希望を持てっていうメッセージ。閉じ込めていた感情を、ゴスペルを歌うことで出させてくれるから、みんなで一緒に泣いたり、喜んだり、すごくいいデトックスになりましたね。
ロサンゼルスで孤独な日々を過ごす中、ゴスペルに出会い前向きになれたというAIさん。学校でもクラスメートと打ち解けていきました。苦手だった勉強の手助けをしてくれる人も徐々に増えてきたといいます。
(AIさん)
人が真剣になりだしたんです、私のために。これが私、信じられなくて。クラスメートが「私の家においで、宿題をこれから一緒にやろう、勉強教える」とか、先生も「朝、これから早めに来い、教えるから」って言うんですよ。人のことなのに、こんな協力してくれる。これは、自分も勉強しなかったら罰が当たると思って、勉強は嫌いでしたけど、テストに受からなかったら涙が流れるぐらい、生まれてはじめて人生で勉強しました。
それでなんとか卒業式を迎えられることになって、ほかの子たちもみんな喜んでくれて。皆さんのおかげで卒業できた。涙が出て、ほんとに人のおかげで、生きられたな、生き残れたなって思ったんです。
(白鳥)
ゴスペルの歌詞にAIさん自身が救われて、前向きになれた。そういった経験が、自分が楽曲つくるときに大事にしたいメッセージになっているんですか?
(AIさん)
そうですね、自然にそうなっているのかなと思いますね。「Story」の歌詞って、すごくシンプルだけど、どれだけ世話になった人たちに自分が返せるんだろうっていうのは、いちばん「Story」で言いたかったこと。どうやったら、ありがとう以上のありがとうの気持ちを言えるのかなって考えてあの曲をつくったんです。ほかの楽曲についても、自分が高校時代に歌っていたゴスペルに込められていた思いや気持ちが入っていると思います。高校時代、クワイア(聖歌隊)に入っていたことは、すごく自分の人生で濃かったなって思いますね。
どんなスタートでも、やっぱり、最後は、みんなハッピーになってほしいなって思います。自分のまわりの人もそうだし、なるべく、みんなハッピーなほうがいいじゃないですか。だから、そうなるように、自分の歌詞でしむけられたら最高ですよね。
はじめての子育て 心救われたことば
ことしでデビュー25年。「ハピネス」や「みんながみんな英雄」、連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」の主題歌「アルデバラン」など、前向きになれるような曲を飾らないまっすぐなことばで歌い続けてきました。
一方で、2人の子どもの母親になったAIさん。はじめての育児に悩む日々もありました。そんな時かけられた、あることばに心を救われたといいます。
(AIさん)
1人目の子育てのとき、慣れていなくて。ある時、いろんな荷物持ってバスに乗ったんです。その時、荷物が引っ掛かって困っていたら、おばあちゃんが手伝ってくれたんです。「大丈夫?」って言って、バスに入れてくれて。しかもその人がバスの中1個だけ空いた席を譲ってくれようとして。私は、まわりの人がみんな嫌な顔してこっち見ているような感じがしていたんですけど、おばあちゃんは「大変よね」ってことばを言ったんです。その瞬間、もう、私、涙が止まらなくなって、うれしくて。
おばあちゃんが言ってくれた、「ほんと大変よね」っていうひと言。この全世界で誰も私のことをそう思ってないって思っていたから、すごい愛を感じたんです。一瞬にして救われた。そういう優しさは、もうすごいパワーなんですよね。何ともないときって、そういうことばをかけられても、「あー、ありがとうございます」で終わるじゃないですか。でもその時に必要なことばとか、必要な人の笑顔とか、そういうのだけで変わると思うんです。だから、なるべくいいことばとか、人が困っていたら助けるとか、そんなことは基本の話だと思うけど、でもそれさえあれば、ほんとに世界中、変わると思います。
少しの優しさで世界は変わる
(白鳥)
元気になってほしい、あしたを生きてほしい、そこまで人のことを思えるのは、どうしてなんでしょうか?
(AIさん)
うーん、でも、そう思うのが普通なのかなって思いますけど。だって自分の近くにいる人に元気であってほしいなって思うのは、すごい自然なことだと思うんですよね。やらないといけないとは思ってないですけど、やりたいんですよね。自分がやりたくなる。だって、困っている人がいたら「どうしたの?」って聞く、どうにかしてあげたいし、普通に自然に。私もいろんな人からパワーをもらったからこう言えるだけで、人からもらったいいことばや気持ちは、これからどんどん人にも言っていきたいなって思います。少しのことばとか、少しの笑顔とかで、ほんとに人って変われるんじゃないかなって思っています。