“生きているよろこび”一緒に 100歳の影絵作家 藤城清治

東京, 5月31日 /AJMEDIA/

こちらを見つめる、“こびと”たち。

童話の絵本やテレビなどできっと見かけたことがあると思います。

美しい色使いでメルヘンの世界を表現してきた、日本を代表する影絵作家・藤城清治さんの作品です。

「生きているよろこび」を象徴する存在として、“こびと”は作品にたびたび登場しています。

長年封印してきた戦争経験に向き合った作品や、震災を題材にした作品などにも挑戦し、その中でも“こびと“の姿を描き続けています。

(おはよう日本 ディレクター 棚橋大樹)

衰えない創作意欲 “100歳”にちなんだ作品も
「ハッピーバースデー、トゥーユー!」

拍手の中で壇上に現れたのは藤城清治さん。

2024年4月、100歳の誕生日を迎えました。
テレビや雑誌、絵本などで活躍し幅広い世代から人気を集めている藤城さん。

200人ほどが入る会場のホールには多くのファンがつめかけました。
藤城清治さん
「100歳というとずいぶん長いような、でも10年の10倍だからね。そんなに長くはないし…10年という単位で10回くらい時代の変わりがあり、100年生きている喜びみたいなものがあるので、生き証人みたいにやっていきたいなと思ってます」
会場では100歳を記念した展覧会も行われ、デッサンをはじめ初期のモノクロの影絵や、色鮮やかな影絵作品など145点。

時代と共に幅を広げてきた藤城さんの足跡をたどることができます。

そのなかには、100歳を迎えるにあたり“ことし”制作した作品も。

作品のタイトルは「空に上った風船 2024」。
「空に上った風船 2024」
重なり合う色調は、100歳の今だからこそ表現できたという藤城さんの最新作です。

“100”の数字が書かれた白い風船の上には、“こびと”が座っています。
藤城さん
「これだけを一番、展覧会にちょうど間に合わせるようにやったからね。色調と猫に対する感じと夕焼けと太陽と、なんかそういうのは、今だから描けたというかね。多少は衰えたと思っていたけど、まだここまで描けた」
生命力あふれるアトリエ
創作の源を知りたいと、都内にある自宅兼アトリエを訪ねました。

ドアが開くと、猫のアビーを抱きかかえた藤城さんが出迎えてくれました。
猫のアビーは2歳で、藤城さんとは98歳差
玄関には、飼い始めて20年ほどたつフクロウのクックちゃん。

ほかにも水槽には大きなアロワナが。

影絵づくりの現場には、生き物がたくさんいます。

藤城さんは生き物たちと暮らすことで感性が若返り、作品のアイデアが生まれてくると話します。

そしてアトリエのある2階へと、しっかりとした足取りで階段を上っていきました。

たどりつくと、今後制作する予定の影絵の下絵や色のついたフィルターが台の上に広げられていました。
藤城さんの作品の魅力は、なんといっても繊細な色使いです。

机の横の引き出しには、500色以上のフィルターが入っています。

それらを組み合わせ、重ねたり、時にはカミソリで表面を削って色の調整をしたりして、表現しています。

カミソリの刃を直接手で持って、勢いよく切るのも藤城さん流です。

躍動感が出るといいます。
原点は戦後の焼け野原で見た“影”
こうした影絵の技術を、藤城さんは独学で身につけてきました。

もともと小さい頃から絵を描くのが好きで、特に葉っぱ1枚1枚を丁寧に描くのが大好きだったといいます。
幼いころの藤城さん(画面中央)
大正13年、東京で生まれ育ち、慶應義塾大学へ進学。

学生時代には油絵や人形劇の活動に夢中になりました。

影絵を始めたきっかけは戦後、東京の焼け野原で見た“ある光景”でした。

がれきに差し込んだ太陽の光と、影。

その美しさから、影絵への手がかりを見出しました。
藤城さん
「戦争が終わっても絵の具がなかなか入らなかったんですよ。影絵は、光と影でできるっていうのでやったのが一番最初です。太陽があれば、月があれば、ろうそくの光があれば、自然の光でもって何かを表現していく。そこに美しさ、一筋の光を求めて何かを作っていこうと」
「日の出の踊り」(1953)
子どもたちを喜ばせることが好きだった藤城さんは、童話やファンタジーの世界の作品を次々と制作し、人気を集めます。

そして作品に欠かせない存在になっていったのが、“こびと”でした。

「生きているよろこび」を象徴する存在として、見る人にもよろこびを実感してもらいたいという思いがこめられています。

そのメッセージがまっすぐに表現されている作品の1つが1995年の「生きるよろこび」です。
「生きるよろこび」(1995)
作品の紹介文の中で、藤城さんは「この地球は、人間だけが住んでいる世界ではない。樹が繁り、美しい花が咲き、果実が実り、動物も鳥も魚も昆虫もみんな生きている。そして、光があり、空気があり、水がある。地球はこんなにすばらしいんだということをうたった作品。(中略)ほんとに、地球上のあらゆる生命あるものが、なかよく交流し合って生きるよろこびを満喫できる世界になりたいと思う」と記しました。
ふたをしてきた“戦争”に向き合う
長年メルヘンの世界を題材にしてきた藤城さんでしたが、80歳を過ぎたころに転機が訪れます。

サイン会で広島を訪れた際に、原爆ドームを見てどうしても作品にしなければと突き動かされたのです。
原爆ドームのスケッチをする藤城さん
藤城さん
「戦争というものをなるべく忘れようとしてたんだけども、少し時間がたつほど戦争というものをもっと考えなきゃいけないんじゃないかと思った。原爆についても、当初は自分の楽しいものを描くということを考えていたけど、そういうものじゃないと。もっと記録しなきゃいけないと思うようになった」
「悲しくも美しい平和への遺産」(2005)
この作品で初めて、藤城さんは『戦争と平和』を描きました。

原爆ドームの上にはさまざまな色の折り鶴が空に向かって羽ばたき、平和への思いが込められています。

そして、“生きているよろこび”の象徴として“こびと”も添えられていました。

その後、藤城さんはふたをしてきたみずからの戦争体験にも目を向け始めます。
海軍航空隊予備科のころの藤城さん
17歳の時、藤城さんは友人とともに海軍航空隊に入隊。

太平洋戦争末期に、特攻作戦が始まると友人たちは次々と出撃し、帰ってくることはありませんでした。

みずからも死を覚悟していましたが、終戦を迎え生き残りました。

90歳を過ぎて鹿児島の「知覧特攻平和会館」を訪れたとき、親友の名前を見つけると藤城さんは涙が止まりませんでした。

桜の花びら1枚1枚に、散っていった仲間たち一人一人の思いを刻んで作品にしました。
「平和の世界へ」(2016)
展覧会では、多くの人がこの作品の前に足を止めて見入っていました。
作品を見た親子
「悲しい。悲しいんだけど、どこか心が落ち着くような…すばらしいね、虹も出てて」
「きれい…」
“生きているよろこび”これからも
戦争に向き合うなかで、藤城さんは災害で傷ついた人たちにも寄り添い、作品を発表していきます。

東日本大震災の被災地や、熊本地震で被害をうけた熊本城などを題材にした作品も手がけてきました。
藤城さん
「ただ美しいものを美しいって描くだけじゃない。いろんな災害がけっこうあって、もっと崩れたもの、壊れたもの、そういったいろんなものをもっとね。災難にあって崩れたもの、そういうものを描かなくちゃと」
100歳の誕生日のイベントを終えたあと、藤城さんのまわりにはファンがかわるがわるやってきて握手をしていました。

見る人の存在が、いまも藤城さんが創作活動を続ける原動力になっているといいます。
藤城清治さん
「人が見て喜んでくれるかを考えて、それをずっと続けてきたから。自分1人でやってるんじゃないっていう。僕はそこに感動する。自分がうまいからといって描いているというよりね、やっぱりこんなすてきなものを、みんなも一緒に“生きているよろこび”を感じてほしい。これからも、どこまでできるかわかんないけども、『よろこび』の中で最後まで生きて、自然の中で楽しんで、みんなにも夢を送り続けていければいいかな」
100歳になっても印象的な “少年のような笑顔”
影絵を切り抜いている藤城さんのキラキラとしたまなざし。

少年のような笑顔で作り方を説明する姿が強く印象に残っています。

一方で、藤城さんは何度も「自分が描きたいというより、見る人が感動してくれることが1番」と強調していました。

周りの人のよろこびが自分のよろこびにつながり、もっとみんなをよろこばせるため生きようという活力になる。

“人生100年時代”という言葉が叫ばれて久しい現代、人生の大先輩・藤城さんの姿が「幸せな生き方・働き方」を考えるヒントになりそうです。

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