日比谷野音、開設100年 震災乗り越え、「伝説」数々―老朽化で建て替えへ・東京

東京, 7月10日, /AJMEDIA/

数々の伝説的なステージが生まれ、「野音」の愛称で知られる日比谷公園大音楽堂(東京都千代田区)が7月で開設100年を迎えた。ライブや集会の野外会場として根強い人気を誇る一方、関東大震災を乗り越え、多彩な娯楽の場となってきた歴史もある。老朽化のため来年10月以降に建て替え予定で、所管する都は新たな「音楽堂」像を模索している。
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 「日本一の音楽堂」「市民の幸福はこの楽堂から」。1923(大正12)年7月7日に落成式が行われた野音の様子を、当時の新聞各紙はこう報じた。現在より約2000人多い5000人が収容可能で、「森のような木々」「大空の下にゆったりと音楽を楽しむにふさわしい」と記されている。
 そのわずか2カ月後には関東大震災で被災したが建物は無事で、被災者慰安のための演奏会や舞踊、講談などが行われた。菊本誠二館長(63)は「すさんだ気持ちだった人々に元気を与える場所だったのだろう」と推し量る。戦前はボクシングの試合や演芸大会も開かれ、当時の東京市民にとって娯楽の場となっていた。
 戦後は60年安保闘争を機に政治集会での利用が増え、春闘やメーデーでも定番の会場となった。60年代後半からはロックやフォークのコンサートも盛んに。ステージが炎上したロックバンド「キャロル」の解散コンサート(75年)や、「普通の女の子に戻りたい」の流行語が生まれたアイドルグループ「キャンディーズ」の解散宣言(77年)など、「伝説」の舞台ともなった。
 会場予約の倍率が100倍に上ることもあり、あいみょんさんら人気アーティストもライブを開くなど、今も人気は衰えない。菊本さんは「自然の移ろいを感じられ、他の会場にない開放感が野音の魅力。音楽史に限らず、政治活動の歴史の一翼も担ってきた」と振り返る。
 戦後2度の改築を経て3代目となる野音も、前回の工事から40年がたち、都が建て替えを決定。雨を防ぐため客席前方まで屋根を広げ、通路や客席をバリアフリー化する方針だ。担当者は「開放感を維持しつつ、これからの100年にふさわしいデザインを目指したい」と意気込む。

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