ハマス解放のタイ人“同僚2人は射殺 食事は朝と夕方パン1つ”

東京, 12月02日, /AJMEDIA/

パレスチナのガザ地区でイスラム組織ハマスに拘束され、その後、解放されたタイ人の男性が故郷に戻り、家族と再会しました。50日に及んだ人質生活について「食事はパンだけで、水は2人で1つのペットボトルを分け合って飲んだ。生きて帰れるとは思わなかった」と当時の厳しい状況を振り返りました。

タイ東北部出身のナタポン・オーンケーオンさん(26)は、2年前からイスラエルの農園に出稼ぎして、果物を栽培する作業員として働いていました。

10月7日にハマスの人質となり、50日にわたって地下トンネル内の施設で拘束されていましたが、11月25日、ほかのタイ人とともに解放されました。

そして、1日、故郷のタイ東北部のナコンパノム空港に到着すると、集まった家族と涙を浮かべながら抱き合い、喜びを分かち合いました。

ナタポンさんは、自宅に戻ったあと、NHKなどの取材に応じました。

ナタポンさんは10月7日午前、朝食の準備をしていたところ、突然、家の中にハマスが押し入ってきたといいます。同僚2人は、走って逃げようとしましたが、目の前で射殺されたといいます。

銃撃を避けようと床に伏せていたナタポンさんはほかの同僚4人と共にハマスに拘束され、手を縛られ布で目隠しされた状態で地下トンネルの施設へと連れていかれたといいます。

トンネル内では、イスラエル人やほかのタイ人の合わせて6人が1つの部屋で拘束されたということで、ナタポンさんは、「部屋は狭く、天井も低かった。壁はコンクリートで覆われ、頑丈な鉄のドアがあるだけだった。ドアが閉められると外の音は全く何も聞こえなかった」と話しています。

食事については「朝と夕方の2回、パンが1人1つ。飲料水は小さなペットボトルが2人につき1本しか与えられず、分け合って飲んだ」と話しています。

ナタポンさんは「私は今でも怖くてうまく説明できない。地下トンネルから生きて出られるとは思っていませんでした。怖くて毎日、30分から1時間くらいしか眠れなかった。いまは家に帰ることができて、ただただうれしいです」と話していました。

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