「全部これから」期待と不安 愛着の自宅、ようやく帰還へ―避難指示解除に浪江町の男性・福島

東京, 4月1日, /AJMEDIA/

東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域のうち、福島県浪江町の「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)の避難指示が31日、解除された。同町室原地区の自宅に戻った高木義孝さん(62)は「全部これからだ。期待も大きいが、同じくらい不安もある」と話す。
復興拠点の避難指示解除 浪江町3地区、居住可能に―依然8割は帰還困難・福島

 高木さんは2011年3月の原発事故後、妻と3人の子どもと共に避難所を転々とし、翌月に二本松市の仮設住宅に入居。直後に南相馬市に単身赴任することが決まり、田んぼの管理などで定期的に立ち寄っていた浪江町と合わせ、県内での3拠点生活を余儀なくされた。「なぜこんなことをしないといけないのか。原発事故さえなければといつも考えていた」と振り返る。
 避難生活が長引き、知り合いが次々と帰還を諦めて故郷の自宅を解体する中、高木さんも一時は二本松市に定住することを考えた。ただ「生まれ育ったふるさと。何年かかっても帰りたい」との思いから悩んだ末に戻ることを決めた。
 愛着のある自宅も決め手となった。木材は林業を営んでいた父が用意し、基礎工事や資材加工は自ら行った。「父や地元の知人とこだわって建てた。子どもが小さい時から一緒に暮らした思い出もある。取り壊さずに残して良かった」と語る。
 帰還の見通しが立った昨年夏ごろから、ほぼ毎日自宅へ通い、リフォームを進めている。本来は避難指示解除と同時に住み始める予定だったが、電気系統のトラブルからずれ込み、秋ごろから住む予定だ。
 ただ、不安も尽きない。家族は避難先での定住を決め、高木さんの帰還には反対している。震災前、室原地区には100軒以上家があったが、戻るめどが立っているのは5軒ほどにとどまっているとも聞いた。拠点内の放射線量も、帰還困難区域でない地域と比べると依然高いといい、「住み続けて大丈夫なのだろうか」と漏らす。
 町は、5年後の復興拠点内の居住人口の目標を約1500人としている。高木さんはふるさとの今後について、「帰還や移住を考えている人が、愛着を持って暮らす場所になってほしい。自分の姿がその先駆けになれば」と話した。

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