東京, 7月02日, /AJMEDIA/
北朝鮮に拉致された可能性がある「特定失踪者」の古川了子さん=失踪当時(18)=が行方不明になってから7日で50年を迎える。姉の竹下珠路さん(79)が取材に応じ「何もできずに50年がたってしまった」と悔しさをにじませた。
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古川さんは1973年7月7日に失踪した。千葉県市原市の自宅を出て、美容院へ行き、午後に母の朗子さんと買い物をする約束だったが、美容院に「キャンセルしたい。母親にも浴衣を買いに行けなくなったと伝えてください」などと電話したのを最後に、姿を消した。
2002年12月、「平壌の病院にいた女性と古川さんが似ている」と証言していた元北朝鮮工作員と竹下さんは面会した。元工作員は会うなり、「どの写真よりも、お姉さんであるあなたに、自分が会った女性はよく似ている」と証言したという。その瞬間、竹下さんは胸をなで下ろした。「北朝鮮の中を捜せばいいんだ」と思った。
しかし、事態は一向に進展しなかった。05年には古川さんを拉致被害者として認めるよう求め、国を相手に訴訟を起こしたが、認定には至らなかった。政府認定の拉致被害者と特定失踪者。「政府は明らかに区別している」と指摘する。
10年には、古川さんの救出を求め署名活動を続けていた朗子さんが94歳で亡くなった。最期の時まで「頑張るわ」と話していた母。「人の命は待ったなし。そこに注力できない日本はどうなっていくのか」。竹下さんは危惧している。
竹下さんは、古川さん失踪の2週間ほど前に息子を出産した。毎年、息子の誕生日が来るたび、妹に思いをはせるといい、今でも残されたジャケットや口紅などを大切に保管している。「もし会えたら、『今まで救い出せなくてごめんね』と伝えたい」と語った。