東京, 9月13日 /AJMEDIA/
青木は2017年秋に米大リーグのメッツを自由契約となった。メジャーで6年の実績を積み、当時まだ35歳。代理人は「需要はある」と契約に自信を示していたが、青木は最終的にヤクルトへの復帰を選んだ。記者会見で「この球団を愛している」と口にしたのは今も語り草だ。
14年にワールドシリーズ進出を果たしたロイヤルズで同僚だった当時42歳のラウル・イバネス外野手の姿が印象に残っている。「自分が生き抜くことを考えながら、チームのことを思って行動していた」。メジャーで結果を残し、ヤクルトに戻ってきた青木には、チームを引っ張る意識が芽生えていたという。
特に村上は、米国での自主トレーニングに連れて行くなどグラウンド内外で目をかけた。その村上は、引退会見で青木に花束を手渡し「僕に愛を持って接してくれた。まだ若くてミスをした時、人間的にも駄目なことをしてしまった時にたくさん叱っていただいた」。涙ながらに感謝の言葉を絞り出した。
21年には自身や村上の活躍もあり、日本シリーズ制覇を果たした。「ヤクルトで日本一になれなかったのは一番の心残りだった。それができて、ほぼほぼ自分がやりたいことは達成したなという気持ちがあった」。愛を貫き、宿願を遂げた。