重責担い、国技の体現者に 奮い立たせた「誇り」―大相撲・照ノ富士

東京, 1月21日, /AJMEDIA/

 大相撲の横綱照ノ富士が引退し、年寄「照ノ富士」として後進の指導に当たる。けがや病気で大関から序二段まで転落しながら、不屈の精神で番付の頂点を極めた。ただ一人、綱の重みに向き合った日々に迫る。

 ◇全力士の模範に

 横綱に昇進するまでは「がむしゃらに強くなること、横綱になることだけを考えていた」と照ノ富士は振り返る。それが綱を張るうちに「相撲の奥深さ、国技がどういうものかを感じるようになった」。心境の変化を実感するようになった。

 兄弟子に当たる安治川親方(元関脇安美錦)は「素行だとかを言われないように、外国人横綱のイメージを払拭したいと常々言っていた」。朝青龍、白鵬らは横綱にふさわしくない言動を重ね、物議を醸したこともある。全ての力士の模範になろうと心を砕いた。

 在位21場所で13度の休場。だが、横綱審議委員会は照ノ富士に対して出場を促す決議をせず、苦言を呈することもなかった。満身創痍(そうい)で本場所を休まざるを得ない体調でも、巡業に参加して横綱土俵入りを披露する姿勢を評価した。

 白鵬引退後の3年余り、一人横綱として支えた大相撲とは何か。照ノ富士は「ただのスポーツではなく、国技として日本人の誇りを奮い立たせるためにあるもの。だからこそ、美しくないといけない」と表現した。真摯(しんし)に向き合った末にたどり着いた答えだった。

 近年は両膝の古傷に加えて腰も痛め、持病の糖尿病にも苦しんだ。力が出ない。土俵入りも弱々しくなってきた。それでも見る人に「私たちは日本人だ、と誇りに思ってほしい」との願いを胸に、重責を担った。単なる「強さ」だけではない。国技の体現者であろうとした。

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